武家屋敷通りを歩るいているとまるで江戸時代に迷い込んだような錯覚に落ち込んだ。青柳家の敷地は約3千坪もあり一つ一つ丁寧に観ていたら日が暮れてしまうので先を急ごう。仙北市指定史跡の「石黒家」に行ったがこの屋敷は6軒の中でも格式が最も高く、財政関係の役職についていた家柄という。
茅葺き屋根の主屋の覗き窓の付いた黒板塀、正面玄関と脇玄関を備える武家らしい凛とした表情を持っていた。
角館では唯一、案内の人が居り座敷に上って解説を聞き、内部を見ることが出来きた。
石黒家の主屋は築200年経っていて現在も子孫が住み続け、家屋の維持保存を行なっているという。
石黒家の離れの蔵は展示室になっていて、箱そりや踏俵(ふみだわら)など昔の懐かしい道具が置かれてあった。
また、嘉永二(1849)年作の彩色木彫像や土人形像など古い天神様があり、その左には五月人形もあった。
表町下丁あとに秋田県指定文化財の岩橋家を見たが、屋敷は江戸時代末期に改造、茅葺から木目葺きに変えられ大火の時は事なきことを得たという。
角館の中級武士の屋敷として間取りなどに典型的な形を残しているという。樹齢300年以上の柏の木が岩橋家のシンボルだというが見過ごした!
東勝楽丁の黒板塀に垂れ下がるしだれ桜を想像して歩るくと、河原田家があった。
河原田家は戦国時代に「芦名」氏の重臣として会津から移ってきたという。現在の建物は明治中期に建てられた物だそうで中に入って観ることは出来なかったが相当傷みが来ていた。
ここは庭続きに隣の小野田家に行けるのだが、観光客が転倒して残念だが今は歩くのを止めていた!
いよいよ、ラストの小野田家、1773年、平賀源内が、秋田藩士角館であった小田野直武の画才を見て直武に、陰影法や透視遠近法などの洋画法の知識を与えたという。
直武は解体新書を始め、蘭画でも名高ったが惜しくも1779年、32歳の若さで亡くなったという。それが「秋田蘭画」という。
みちのくの小京都と呼ばれる角館は、武家町と町人町に分けられた町並は390年近く経っても変わらない古を偲んだ。国見温泉につづく・・・(7/1撮影)
0 件のコメント:
コメントを投稿