2014年7月9日水曜日

小京都 角館2

武家屋敷通りを歩るいているとまるで江戸時代に迷い込んだような錯覚に落ち込んだ。青柳家の敷地は約3千坪もあり一つ一つ丁寧に観ていたら日が暮れてしまうので先を急ごう。仙北市指定史跡の「石黒家」に行ったがこの屋敷は6軒の中でも格式が最も高く、財政関係の役職についていた家柄という。
正面玄関と脇玄関を備える武家らしい佇まい。
石黒家の門。茅葺き屋根の主屋の覗き窓の付いた黒板塀、正面玄関と脇玄関を備える武家らしい凛とした表情を持っていた。
中心ある杉の木は300年以上も経つ。
座敷に上って内部を見ることが出来きた。(欄間の影絵)。角館では唯一、案内の人が居り座敷に上って解説を聞き、内部を見ることが出来きた。
肥前国出羽守藤原行広という名刀。
石黒家の甲冑。石黒家の主屋は築200年経っていて現在も子孫が住み続け、家屋の維持保存を行なっているという。
箱ぞりや踏俵。
石黒家の離れの蔵は展示室になっていて、箱そりや踏俵(ふみだわら)など昔の懐かしい道具が置かれてあった。
彩色木彫像や土人形像。
五月人形。また、嘉永二(1849)年作の彩色木彫像や土人形像など古い天神様があり、その左には五月人形もあった。
岩橋家の内部。
秋田県指定文化財の岩橋家は木目葺きに変えられた。表町下丁あとに秋田県指定文化財の岩橋家を見たが、屋敷は江戸時代末期に改造、茅葺から木目葺きに変えられ大火の時は事なきことを得たという。
縁側は土間があり、障子が外にあった!
屋敷は江戸時代末期に改造、茅葺から木目葺きに変えられ大火の時は事なきことを得たという。角館の中級武士の屋敷として間取りなどに典型的な形を残しているという。樹齢300年以上の柏の木が岩橋家のシンボルだというが見過ごした!
現在の建物は明治中期に建てられた。
河原田家の門。東勝楽丁の黒板塀に垂れ下がるしだれ桜を想像して歩るくと、河原田家があった。
玄関には鷹の屏風が置いてあった。
河原田家の紋?河原田家は戦国時代に「芦名」氏の重臣として会津から移ってきたという。現在の建物は明治中期に建てられた物だそうで中に入って観ることは出来なかったが相当傷みが来ていた。
小野田家の門。
庭続きに隣の小野田家に行ける。ここは庭続きに隣の小野田家に行けるのだが、観光客が転倒して残念だが今は歩くのを止めていた!
直武は解体新書を始め、蘭画でも名高った。
平賀源内が、秋田藩士角館であった小田野直武の画才を見て驚いた!いよいよ、ラストの小野田家、1773年、平賀源内が、秋田藩士角館であった小田野直武の画才を見て直武に、陰影法や透視遠近法などの洋画法の知識を与えたという。
1779年、32歳の若さで亡くなったという。
直武は解体新書を始め、蘭画でも名高ったが惜しくも1779年、32歳の若さで亡くなったという。それが「秋田蘭画」という。
国の名勝、2㌔の桜のトンネル。
ゆったりと流れる桧木内川、桜並木と鮎釣り人。みちのくの小京都と呼ばれる角館は、武家町と町人町に分けられた町並は390年近く経っても変わらない古を偲んだ。国見温泉につづく・・・(7/1撮影)

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