2011年11月2日水曜日

護王神社 亥子祭(いのこまつり)

上京区烏丸下長者町にある護王神社は、別名“いのしし”神社とも呼ばれ「足腰の守護神」として親しまれている。祭神に和気清麻呂(わけのきよまろ)と姉の和気広虫(わけのひろむし)を祀っている。護王神社は上京区烏丸下長者町にある
足腰御守で有名な護王神社“足腰お守り”で有名な護王神社は、京都洛西・高雄の神護寺(和気清麻呂の氏寺)にあったが1874(明治7) 年に遷座し1886(明治19)年現在地に造営された。神の使い「猪」と慈悲深い「和気広虫」平安装束に身を纏った奉仕女房和気清麻呂が京都より九州大隈国(現・鹿児島県)宇佐へ向う途中、足に傷を負い困っていたところ、突然猪が現れ御輿の前後を守護し宇佐八幡までの道を先導したと伝わる。イノシシがお守りした故事にちなみ、和気清麻呂を足腰の難儀を祓う祭神と崇め、猪を神の使いとして尊ぶようになった。平安朝の古儀を再現した優雅な祭
拝殿の座に五人の奉仕女房は着いた11月1日、平安時代の宮中の年中行事であった“亥子餅”の儀式を再現した神事「亥子祭」が営まれた。亥子祭は、平安時代、旧暦10月(亥の月)亥の日に行われていた宮中の御玄猪(おげんちょ)の儀式を再現した神事で、聖上(宮司)がついた餅を食べることによって、無病息災と子孫繁栄を祈る行事で午後5時より始った。 亥子祭は、平安時代、旧暦10月(亥の月)亥の日に行われていた宮中の御玄猪(おげんちょ)の儀式を再現した神事
女房が袖で口を隠して「いのちつくさいわい」と唱える平安朝の古儀を再現した優雅な祭で、雅楽が流れるなか平安装束に身を纏った聖上(宮司)以下祭員と五人の奉仕女房が拝殿の上で亥の子餅をつく儀式を執り行なった。亥子祭の神事は三つに分かれ、本殿ノ儀、次に御春ノ儀で拝殿の座に五人の奉仕女房は着いた。つき上がった亥子餅を、神前に奉納する儀式
雅楽が流れるなか平安装束に身を纏った奉仕女房式司の前に臼杵等々の御春式を整えて、式司は臼に粉餅を入れ女房が水をそそぎ、杵で餅をつき式員は古歌「神奈月」を唱える。式司以下、式員が袖で口を隠して「いのちつくつかさ」と唱え、女房が袖で口を隠して「いのちつくさいわい」と唱える。つき上がった亥子餅を、神前に奉り御所献上の餅を唐櫃におさめた。出来上がった餅を献上する為、蛤御門をめざし御所に向う
提灯を下げた奉仕女房たち提灯行列を伴い、出来上がった餅を献上する為、蛤御門をめざし御所に向うことを「禁裏御玄猪調貢ノ儀」という。 京都御苑は真っ暗な闇で「禁裏御玄猪調貢ノ儀」という
提灯行列を伴い、出来上がった餅を献上する亥子餅献上ノ儀の行列は同社から蛤御門・御所清所門に入り、餅を朝貢列(貢物を捧げること)によって京都御苑に献上するが、京都御苑は真っ暗な闇であった。集まった善男善女が亥子囃を歌いながら餅はつかれた
ご神酒や亥子餅も美味かったその後、同社では饗宴ノ儀があり境内で餅つきが行われ、皆で「亥子囃」を歌いながら楽しく亥子餅がつかれた。搗き立ての亥子餅は参拝者や観光客にも振舞われた。また、ご神酒も振舞われ、搗き立てのお餅は美味しかった。ちなみに亥子餅を食べると、万病を除き長寿を保つと言われ、本日限り3個入り1000円、5個入り1500円で販売している。 
平安装束に身を纏った宮司以下祭員と五人の奉仕女房が記念撮影亥子祭は平安朝古儀豊かな装束に身を纏い厳かで優雅な神事に訪れた人々は見入っていた。
護王神社拝殿前には、石彫の猪一対が狛犬のかわりに相対峙し、以来「狛イノシシ」になり亥歳生まれの守護人や足腰の健康を願う参詣者が多く訪れている。


<亥子祭>
場 所:護王神社
日 時:11月1日午後5:00~
住 所:京都市上京区烏丸通下長者町下る桜鶴円町
電 話:075-441-5458
拝 観:境内自由
交 通:地下鉄烏丸線「丸太町駅」下車、北へ徒歩約5分
    市バス「烏丸下長者町」下車すぐ
障害者:可

2 件のコメント:

miiko 1948 さんのコメント...

こんにちは miikoです。
先日(彦根城まつり)は、色々と
有難うございました。楽しいひと時でした。

亥子祭 拝見しました。
夜なのに綺麗にお写真撮られていますね!

いつもブログを拝見しています。
またお会いできる日を楽しみにしています。

gottuan さんのコメント...

こんにちgottuan7です。

先日は偶然に彦根城まつりでお会いでき
ありがとうございました。

亥子祭は夜行われて、ビントボケの写真ばかりでした。片手でシャッター押すのは無理なようです!

早速ブログ私も拝見しました。
良いカメラを購入されますますブログに励んくださいね。

また近々お眼にかかりましょう!