2011年11月8日火曜日

かにかくに祭 祇園白川

“かにかくに 祇園はこひし 
       寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる”
歌人・吉井勇を偲んで8日東山区祇園白川沿いで「かにかくに祭」が催された。礼をする八代目の登美代の大田きみさんと芸舞妓たち祇園甲部から芸舞妓さんが献花
午前11:00から祇園甲部の芸舞妓が白川沿い、明治・大正・昭和初期まで祇園をこよなく愛した歌人・吉井勇を偲んで“かにかくに碑”の前で献花が行われた。
かにかくに碑”は吉井勇が1910(明治43)年に詠んだ一首で、自身の歌集「酒ほがひ」に収められている。吉井勇は東京生まれ、昭和12年京都に来た
あまりお眼に掛かったことのない、にっこり微笑む芸舞妓たち歌人・吉井 勇(1886~1960)は、鹿児島藩士吉井友実(伯爵)の孫として東京に生まれた。1933(昭和8)年結婚し高知の山里に隠棲、4年後再婚、翌年京都に移住し晩年は、爵位を返上し隠居、北白川周辺に住み祇園に通ったといわれている。お茶屋のある石畳の白川の畔、白菊を手向ける
かくかくに祭は毎年、祇園甲部でされている当時、白川の両岸に茶屋が建ち並び、建物の奥の一間は川の上に少々突き出ており、「枕のしたを 水のながるる」はそのその情景を詠んでいる。
寝るときの枕の下を水が流れていると詠んだ情景は今も変わらない歌碑の建っている地は、祇園白川のお茶屋「大友(だいども)」があり、「大友」は当時文人・夏目漱石や谷崎潤一郎ら有名作家や画家が多く訪れたと言う。その大友には、女将で「お多佳さん(磯田多佳)」と言われる人がおって幅広い交流のある茶屋でもあったという。
報道関係や多くの写真愛好家や観光客等にサービス勇の古希(70歳)を祝って、彼と親しかった谷崎潤一郎や堂本印象、湯川秀樹博士等が発起人となって、1955(昭和30)年11月8日に歌碑が建立された。以来、毎年、祇園甲部の芸舞妓が歌碑に白菊を手向けて勇をしのぶ「かにかくに祭」が行われている。これから関係者にはお茶の接待
2人の芸姑が訪れたこの日は立冬だったがポカポカ陽気で暖かく感じ、歌碑の前で芸舞妓が白い菊を供え、静かに手を合わせ献花した。献花がはじまると報道関係や多くの写真愛好家や観光客らが訪れて、しきりにカメラのシャッターをきっていた。
今年はこの歌が詠まれて101年、没後51年、勇と描かれた碑は、あの新選組の隊長・近藤勇と今時の若い人には誤解するらしい!白川の流れの音もどこか風流に聞こえてくるようにおもえた
白川巽橋でポーズをとる豆?さん歌人・吉井勇は祇園花街を愛してやまなかった彼の感性を感じさせるものでもあり、風情のある石畳を歩いて文人たちの“粋”を感じ、白川の流れの音もどこか風流に聞こえてくるようにおもえた。歌碑のある場所は四条大和大路を北へ、石畳の白川通を東へ行った中間に「かにかくに碑」が南側にある。
<かにかくに祭>
開催場所:祇園白川通り
開催期間:11月8日 午前11:00
お問合せ:075-561-1115
交   通:京阪「祇園四条駅」から徒歩5分
      市バスあり

1 件のコメント:

miiko 1948 さんのコメント...

こんにちは miikoです。
ブログにコメントおおきに。
昨日も色々お世話になり、有難うございました。また次の機会もよろしくお願いします。

余談ですが、カメラ無料で新しいものと交換
してもらいました。良き助言のお陰です。
有難うございました。