2013年1月19日土曜日

雪の三千院(さんぜんいん)

左京区大原にある三千院は、「京都 大原 三千院 恋に疲れた女が 一人……」の歌詞で始まるヒット曲で全国的に知られることになった。三千院門跡とも称し、天台宗の寺院で山号は、魚山(ぎょざん)、本尊は薬師如来、開基は最澄上人である。
積雪は20cmはあるだろうか!この石段を上がれば山門がみえる!建立時は延暦寺東塔だったが滋賀県坂本から京都御所側の梶井町に移り明治期になり大原の旧所領に帰る。別名、梶井門跡や梨本門跡、円融院門跡とも言うが1118 (元永元) 年、堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室されて門跡寺院となった。
お坊さんが通ってくれた。モノクロもたまにはよい・・三千院は親王が出家して住持した宮門跡で、妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつとして歴代の天台座主を輩出してきた。
風が木の枝を揺るがす・・・・坂本の梶井門跡は京都市内の各地を転々とした後、大徳寺の南方に当たる洛北船岡山の東麓の寺地に落ち着いた。応仁の乱で焼失し、以後、往生極楽院を本堂として三千院門跡となり現在に至った。
客殿のガラス戸に映った雪・・・三千院の拝観は御殿門を入って左手が玄関で、客殿は池泉鑑賞式庭園・聚碧園(しゅうへきえん)となる。見る方向により新緑が異なり美しく池の水は律川から引かれている。作庭は江戸初期の茶人として有名な金森宗和である。
金色不動堂。観音堂宸殿は、御所の紫宸殿の外観を模している。内陣に木像救世観音・木像不動明王(伝・慈覚大師作)を安置している。宸殿の柱に「等持定理青苔地、円覚観前紅葉林」の伝教大師の言葉が掲げられている。南には二面の苔庭があり、上の有清園(ゆうせえん)、中の「瑠璃光庭」と称されている。
ツララが下がった観音堂の手洗舎。白い襟巻きしたような仏像さん。宸殿から杉木立と青苔を透して本堂の往生極楽院阿弥陀堂が見える。宸殿前の往生極楽院は1148(久安4)年の建立で本尊の阿弥陀仏は平安期を代表する優雅な姿、とも膝を開いた前かがみが(大和坐り)が珍しいといわれている。
杉木立と青苔を透して本堂の往生極楽院阿弥陀堂が見える。正面、御殿門を入って拝観する。南に朱色の門がある、この門は普段は閉じられているが三千院の正門「朱雀門」で往生極楽院から東の高台へ進むと金色不動堂、観音堂となる。
ふるさと、京都・大原・・・参道は雪景色、転倒しないように十分注意して!庭園は、四季折々の景観が楽しめる。庭は心の修養の道場と言われ、春はシャクナゲ、初夏はアジサイ、秋はモミジを観賞できる。
民家の人が作った雪だるまとカマクラ。何の花、春が待ちどうしく蕾も膨らんでいく・・・。大原三千院は国際会館より京都バスに乗車、寒い冬も素敵な庭園で見ごろとなる。

2013年1月18日金曜日

カンツバキとロウバイ

サザンカの園芸品種でカンツバキ(寒椿)が可愛い花を咲かせている。まだまだ寒さ厳しい府立植物園は、サザンカの園芸品種でカンツバキ(寒椿)が可愛い花を咲かせている。
ソシンロウバイ(素心蝋梅)ウンナンロウバイ(雲南蝋梅)梅林にはウンナンロウバイ(雲南蝋梅)とソシンロウバイ(素心蝋梅)が甘い香りを漂わせている。
シモバシラを観察。18日朝、洛北のある府立植物園は雪に見舞われていたが、前日(17日)も生態園でマンリョウ、センリョウ、カラタチバナ等々を撮りに来たところだが失敗におわり今日も訪れた!
観客等がまだ入っていない生態園ではシモバシラを観察、根から吸い上げられた水分が外気温が氷点下になると凍るために起こる現象である。

棘のあるアリドウシ。昔から縁起物として知れているマンリョウ(万両)やセンリョウ(千両)、カラタチバナ(百両)ヤブコウジ(十両)ツルコウジ(一両)は漢字で別名の名を持っている。またアリドウシというのもある。
薄紅色の加賀侘助。梅の蕾も膨らんできた。梅の蕾も膨らんできて、この冬の寒さを乗り越えたなら春の息吹がすぐそこまで来ている。
雪がついた紅唐子。今日にぴったり銀世界という。このツバキのように雪が降って・・・銀世界、薄紅色の加賀侘助もあった。 紅唐子や数寄屋(スキヤ)も咲いている。
生態園で鳥は大声で鳴き戯れていた。地下鉄国際会館に行って大原三千院にいこう。

2013年1月14日月曜日

祇園 花街・初寄り

1月13日、祇園花街では、京舞・井上流五世家元の井上八千代さん宅に女将さんや芸妓さん、舞妓さんが稽古始めのあいさつに伺った。
京舞・井上流五世家元で女将さんや芸妓さん、舞妓さんが稽古始めのあいさつに伺った。新年のあいさつと益々技芸の上達を励んで、お雑煮で祝う、これを“初寄り”と呼んでいる。この一年の始まりを迎えるにあったて井上邸に集まり、新年のあいさつと益々技芸の上達を励んで、ともにお雑煮で祝う。これを“初寄り”と呼んでいる。
舞妓さんはだらりの帯。芸妓さん、舞妓さんたちが11:30過ぎ、色鮮やかな和装姿も華やかに身を包み、髪飾りも艶やかに師匠宅へ新年のあいさつに訪れた。
左端、キョウカちゃんという声でにっこりされた!師匠宅へ新年のあいさつに来る。師走13日の“事始め”で一年の締め括りをし、正月準備を始めた芸妓さんや舞妓さんたちは新年の“始業式”を終えて一と月後、再び師匠宅へ顔を揃え一層の精進を誓いあった。お屠蘇と雑煮で新年を祝い、師匠から励ましの言葉を受け、新たな気持ちで一年が始まった。
一番後方にいるのが正装姿の“始業式”とは変わり、それぞれお気に入りの和服姿であいさつ。京舞・井上流五世家元の井上八千代さんは、父を人間国宝の観世流能楽師九世片山九郎右衛門の長女として生まれ、2000(平成12)年に襲名した。井上流、井上サト(初世井上八千代)は、近衛家の舞指南役を勤め宮廷文化を基盤に創始したという。
キレイなかんざし。 以来二世紀の歴史を持ち、祇園甲部の正式唯一の流派で京都固有の特色を持つ井上流を『京舞』と呼び、京都の年中行事となっている「都をどり」を支えている。
日本舞踊の「舞」の起源は「水平の動き」で、一人の人の心を伝えることから始まったという。一方「踊り」は、「垂直の動き」で集団で始まったという。
基本姿勢は「腰」を落し、すり足、体の芯を残したまま回る動きだと師匠の家元がいう。しかし今は「舞」も「踊り」も重なり合う部分が多く、舞の中にも踊りに近い部分があるという。
日本文化の粋ともいえる舞妓さんと芸妓さん。7日の紋付に正装姿、稲穂のかんざしをさした芸妓さん、舞妓さんの始業式とは変わり、祇園花街“初寄り”は、新春を感じさせる‘はんなり’とした着物姿が見られた。
舞妓さんの見習いが暖簾のあげて・・・三連休の中日とあって井上邸前は約100名くらいの写真愛好家の人たちが待機し舞妓さんたちや芸妓さんが来るのを待っていた。日本文化の粋ともいえる「祇園花街」舞妓さんと芸妓さんの伝統行事であった。