2011年4月10日日曜日

京都御所 近衛邸跡の糸桜

近衛池と糸桜
5日ほど桜は遅い!
京都市上京区にある御所の旧近衛邸跡地の糸桜は、『昔より 名にきけども 今日みれば むへめかれせぬ 糸さくらかな』と歌に詠まれている。旧近衛邸跡地の糸桜
シダレザクラは「糸桜」
「近衛邸跡のしだれ桜」は、広大な京都御所の北西側にあり烏丸通今出川の「乾御門」の御門をくぐれば東にあり隠れた桜の名所となっている。 ピンク色が可愛い紅しだれ桜

明治2年京都御所は、東京遷都で御所周辺の公家の邸宅が荒廃し寂れていった。この辺りは近衛邸の屋敷のあったところと言われ、近衛家は摂政・関白に任じられる家柄で、五摂家の公家の一つであったといわれている。近衛家の大きな屋敷は、御所火災の際も仮の皇居にもなった。御所近衛邸跡には30本の桜の木があることしも桜を観賞しに来た
大きな屋敷の西側には庭園・近衛池があり、昔から糸桜(ウバヒガンの変種)の名所で、3月上旬に淡紅白色の花を咲かせ枝先が垂れ下がるもので、紅色の花をつけるベニシダレなどの品種も多いという。お花見風景家族の笑顔が素晴らしい!
御所の中で一番早く咲き始める“しだれ桜”で、それぞれ順々に開花が楽しめ約一ヶ月間咲き誇る。近衛邸跡の桜の木は約30本あり“近衛の桜”という早咲きの彼岸桜のしだれ桜。このシダレザクラは「糸桜」と呼ばれて有名な桜である。山桜コブシの花は1本の葉があるのが特徴
ことしは春冷えて桜の開花は5日ぐらいおくれた。コブシの花が咲き白梅・紅梅、桃も一度に咲き乱れ近衛邸跡の近衛池の周りには鶯も美しい声で鳴いていた。朔平門と桜鶯?美しい声でホーホケキョと鳴いていた!
御所国民公園は桜の見ごろで山桜、糸桜、紅しだれ桜や八重紅しだれが素晴らしくご家族連れや大勢の方がお花見見物を楽しんだ。京都御所は現在、国民公園として一般開放されている。

2011年4月9日土曜日

京都御所=一般公開(桜満開)

つづく・・・桜花爛漫の春の時季、京都御所では紫宸殿や清涼殿などを巡る約1キロの見学コースを10日までの午前9時~午後3時半で無料公開している。
八重桜 快晴の空に桜満開
入場門は宜秋門から御車寄、諸大夫の間の襖絵を見て移動する。快晴の空は澄み渡り、新車寄は大正天皇が即位のときに建設した。まだ木が若い、これから成長する
いま、桜の見ごろ
朱色の承明門や紫宸殿をバックに写真撮影をする方が多い。小御所と御学問所の前には御池庭の池があり四季折々、様々な景色を楽しむことができる。御常御殿は天皇のお住いとして日常使用した御殿であった。屈折した遣り水を流し、土橋や石橋を架けた趣向を凝らした庭で、奥に茶室を構えているのが御内庭。
一般公開で桜見物もできる
御殿をバックに
三ヶ所の休憩所も設けているが出口近くにあるお休み処には、桜の満開を愛でて大勢の方がデジカメやケータイで記録していた。震災や原発の事故、いま世の中を桜花爛漫で少しでも明るく心がウキウキ弾む喜びがあったらと感じた!
休憩所はお花見処
青空に桜
出口の清所門前には栴檀(せんだん)の木があり、初夏に淡紫色の5弁花を多数つけ、秋に黄色の丸い実をつけるが、直径70cmのコブができて2002年8月に切除処理したという!清水谷家の椋センダンの木
木もコブができてしまうが植物も人間も代り無い・・・築地塀を南下すると大きなムクの木がある。この大きなむく木は苑内でも数少ないムクの大木で樹齢300年と言われている。公家屋敷であったことから「清水谷家の椋」と呼ばれている。明日は近衛邸跡のイト桜を紹介する。

2011年4月8日金曜日

京都御所=春の一般公開

京都御所(京都市上京区)の春の一般公開が6日から10日の5日間で始まった。宜秋門から入門する 昇殿を許された者が参内する玄関
6日雲一つない快晴れに恵まれ、大勢の観光客がいにしえの宮中文化を楽しんだ。この京都御所は14世紀以来500年以上の永きにわたり皇居であった。「諸大夫の間」で襖の絵にちなんで、格の高い分る見分の上下で、異なった部屋にとうされた
宜秋門(ぎしゅうもん)が入場門、御車寄まえをすぎ、控えの間を「諸大夫の間」で襖の絵にちなんで、格の高い順に桜ノ間・鶴ノ間・虎ノ間と呼ばれている。月華門と日華門がある大正天皇の新御車寄玄関と回廊回廊より中を見る 遠くに大文字山がみえる
大正天皇皇后の新御車寄玄関を南側にみて東に進むと月華門があった。建礼門の彫刻朱色の承明門(中は紫宸殿)
建礼門が見える正面には、朱色の承明門(中は紫宸殿)の回廊と続く。東の建春門や春興殿の前庭は広い・・・紫宸殿の中へは日華門から入る。紫宸殿高御座と御帳台がある
紫宸殿では大正・昭和天皇も行った即位礼・中央に天皇の御座「高御座(たかみくら)」その横に皇后の「御帳台(みちょうだい)」があり、高御座は天皇の即位の儀式に用いられるもので大正天皇即位礼の際に造られた。朱塗りの高欄を巡らした浜床の上に八角形の屋形があり、中央には大鳳凰、周りには小鳳凰を載せ鏡・玉・瓔珞などで装飾されている。伊勢神宮等遥拝された大勢の人が参観
清涼殿は平安時代に天皇が日常の生活の場として使用された。 小御所御池庭
小御所は慶応3年(1867)王政復古の大号令が発せられた夜会議が行われた。御学問所は入母屋桧皮茸の書院造り、蹴鞠の庭や御池庭の池には欅橋がある。豪華な襖絵招霊(おきたま)の木
御常御殿、御内庭はほっとする空間で草木が美しくオガタマノキ(和名は「招霊(おきたま)の木」が花を咲かせていた。御三間は七夕や盂蘭盆会の内向きに使われたという。公開はここまでだが、御苑の桜風景が好く・・・つづきとする。

2011年4月4日月曜日

ハクモクレン

モクレン(木蓮、木蘭)は、3月から4月にかけて花を咲かせる落葉高木で、高さ5~10mくらいになる。いつもバスの車中から通る度、あまりにハクモクレンの花が美しく咲いていた、西京区阪急桂駅東口前の歩道の街路樹。 昔から花がランに似ていることから「木蘭(もくらん)」と呼ばれていたそうだ。またランよりもハスの花に似ていることから「木蓮(もくれん)」と呼ばれるようになったという。清楚なモクレンの花 西京区阪急桂駅東口南にあるハクモクレン
ハクモクレンは中国原産で、原産地では高さ15mほどの高木になりハクレンゲ~ハクレンとも呼ばれ直径15cmほどの芳香のある花を咲かせる。花弁は6枚あり3枚の顎が取り巻いて9枚の花弁があるように見える。花の中心には雌しべがあり、その周辺を多数の雄しべがある。春の訪れを感じさせる花で早春に開花し、少し暖かくなるころには花は終わってしまう。まだ葉が展開する前、枝先には上向きのつぼみが膨らんで、たくさんのロウソクを立てたように花をつける。花は葉が出る前に咲く、肌寒い時期に咲く白い花は印象深い 陽が射すと花が開き、日没夕方になると閉じる
モクレンといえば一般的に紫色の花をイメージし、シモクレン(紫木蓮)は半開きなのに対し、ハクモクレンは陽が射すと花が開き、夕方になると閉じ、これを繰り返し徐々に開花して散り終えて行く清楚な感じのする花である。純白のハクモクレンが満開になると枝一面が真っ白になりそれはそれは見事な花だ。しかし、北風に当たり霜の襲われるとすぐに変色し惨めな様相さらし、花の命は儚くも短い。根元から枝分かれして樹高は10~15m程度まで成長する シモクレン(紫木蓮)は半開き
ハクモクレンはモクレンの仲間で白色の花をつけ、「モクレン」と混同されるが、モクレン属の中では大型の種類で根元から枝分かれして樹高は10~15m程度まで成長する。開花時期はハクモクレン、サラサモクレン、モクレンの順である。花が散り終わると一気に葉が展開し、緑いっぱいになる。日本では街路樹に植栽しているハクモクレンは卒業式をイメージする花である
よく似ているのがコブシ(拳)だが、コブシといえば"北国の春”でお馴染みの千昌夫さんの代表曲、やや花が小さくハクモクレンより少し遅れて咲き木も3~4㍍と小さめで、特徴は花の付け根に一枚の葉が付くことである。
ソメイヨシノよりも一足先に咲く、卒業式をイメージさせるモクレンの花である。

2011年4月2日土曜日

陽だまり

平成23年3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震」、被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。犠牲になられた多くの方々とご遺族の皆様に対し、心よりお悔やみを申し上げます。一日も早い復旧を心よりお祈り申しあげます。
沈丁花の花 洛西竹の里市営団地の中で 東北関東太平洋岸は大津波で一瞬にして大惨事、地獄絵をみるような悲惨であった。さらに福島の原発事故で老若男女、放射性物質を吸い込まないために、住み慣れた家もそのままに避難し続けている。震災で生命はあるが避難民の生活はまさに生地獄の様相だ!
フキノトウは15本くらい・・・ 仄かなあまい香がする
多くの方々よりご心配のお見舞いをいただき心から御礼する。故郷岩手県花巻市ではみな無事が伝えらてホッとした。また釜石市甲子町3家族、大津波で街が流失した大槌町の姪も避難して無事が確認されたという連絡は2週間後のことであった。震災発生後3週間も過ぎ、新年度を迎え人々の生活にも復興の兆しがみえてきた。野鳩は羽を休めて陽だまりでのんびり世界中の国々が大震災・原発事故を注目しエールを送っている。
日本人のこころ、大和魂は知恵と才能・手腕など各専門的技術においても対応し、きっと苦難を乗り越え早く笑える日が来ることを祈っている。
ことし春は遅くさむい・・・でもふきのとうも芽生えて、沈丁花のあまい香りがほのかにする。洛西では野鳩が陽だまりでウトウトしていた。