2010年12月8日水曜日

嵯峨野 宝筐院(ほうきょういん)

京都の嵯峨野の宝筐院は、平安時代に白河天皇の勅願寺として建立された臨済宗の寺院である。
昨年から温めていたスポット!
小楠公の菩提寺、宝筐院
当初は善入寺という名前であったが、足利義政の時、前代の義詮(よしあきら)の菩提寺であったこの寺を、彼の院号宝筐院にちなみ名を変えた。庭園は枯山水境内はモミジの山
山号は善入山(ぜんにゅうざん)といって本尊は木造十一面千手観世音菩薩立像である。室町幕府二代将軍・足利義詮と南朝の忠臣・楠木正行(まさつら)の菩提寺である。
ナイスショット?人が・・・人が蠢く中、シャッターチャンスは・・・
南北朝時代、敵味方に分かれた武将・楠木正行の首塚と足利義詮の墓が仲良く並んでいる。これは義詮が正行の人柄を慕い、そばに葬るように遺言したためといわれる。陽光が燦々と紅葉を映えさす
老木でも見事な楓先の四条畷の戦いで北朝方に敗れた楠木正行がここ善入寺に先に葬られていた、ところが足利義詮の遺言によって、敵であった楠木正行の傍に亡骸を埋葬した。パンフより伐採した
義詮の遺言により、今では墓が仲良く並んでいる北条氏の鎌倉幕府を倒すために戦った味方同士、忠義を貫き通した楠木正行の人柄が将軍・足利の心の支えになり「自分の逝去後、かねており敬慕していた観林寺(現在の宝筐院)の楠木正行の墓の傍らで眠らせてもらいたい」といい義詮は、正行の五輪石塔(墓)の横に宝筐印塔(墓)として葬られた。八代将軍・義政のとき、寺名は宝筐院に改められたという。紅葉を愛でる心を養っていきたい
観光客は皆紅葉をバックにハイポーズ宝筐院の庭園は紅葉が非常に美しく定評がある。周辺は嵯峨野の住宅街で一見するとそのまま素通りしてしまいそうな感じを受ける。境内に入ってみると参道は楓に包まれ竹林や苔が美しく多くのモミジやドウダンツツジがあり晩秋にはみごとな紅葉を見せてくれる。
散紅葉もまた格別隠れた紅葉の名所、宝筐院の枯山水はまた別の趣きがあり晩秋の頃、本堂から燃えるような紅葉の波が美しい姿をみせてくれる。
<宝筐院>
住  所:京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9-1 電話075-861-0610
拝観時間:9:00 ~17:00
拝観料金:400円 障害者300円
交  通:JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」徒歩18分
     市バス「嵯峨釈迦堂前」徒歩3分

2010年12月7日火曜日

洛北 三明院(さんみょういん)

つづく・・・地下鉄国際会館行きの京都バスを途中下車し三宅八幡宮へ参詣後、境内の右手の方に行くと小さな公園がある。三明院は上高野の高台にある
多宝塔から見た、もみじに隠れる本堂
公園の池には錦鯉が遊泳して滝と噴水、村の水車があり一面の紅葉が眼を奪って言葉にならない。池を横切って山麓の細い小道を歩いていくと道沿いに三明院が見えてくる。三明院は観光寺院ではない!楓の紅葉が素晴らしい
この三明院という寺、観光寺院ではないが高台にあって眺望が良く、多宝塔は上高野のシンボルになっている。敷き紅葉も綺麗だ!
多宝塔からみたもみじ三明院は、山号を延壽山(えんじゅざん)といって真言宗醍醐派の寺院である。
本堂には本尊の弘法大師像、脇仏として不動明王と歓喜天尊を祀っている。
元は山形県の山中にあった寺を1906(明治39)年に移し、佐竹信光和尚(上高野出身)が再建したという。また1938(昭和13)年に本堂を再築し、1954(昭和29)年、鐘楼を建造した。鐘楼から真っ赤な楓をみる
多宝塔の前の楓寺のシンボル的な存在である多宝塔は、1961(昭和36)年の建造とのことで企画的新しい・・・この多宝塔、土台は鉄骨むき出しという荒い造りだが、遠くから見ると由緒ある建物のようにも感じられて、上高野の地域を代表する風景になっている。境内
香取大明神社と弘法大師三明院は石段を登った高台にあるため、境内からは上高野の田園風景を一望できる。境内には本堂、鐘楼、庫裏、香取大明神社等がある。多宝塔から上高野の家並みをみる
多宝塔から岩倉方面をみるひっそりとしたお寺で訪れる人も少ないが、境内の紅葉が素晴しく、特に多宝塔を取り巻く紅葉に圧倒される。昔懐かしい山里の雰囲気が残っている。(完)
<洛北 三明院>
住所:京都市左京区上高野西明寺山28 
時間:自由参拝・休日なし 
料金:自由参拝 
駐車場:なし

2010年12月6日月曜日

洛北 三宅八幡神社

鳥居前に狛犬ならぬ「狛鳩」に気付く
本殿岩倉実相院に紅葉狩したとき、京都バスで三宅八幡宮前のバス停を通り過ぎ、帰り寄ってみた。また三宅八幡宮は叡山電鉄鞍馬線に乗り、八幡前駅下車徒歩2分のところにある。手水舎の赤い幕にも鳩の絵
西参道から拝殿・境内三宅八幡神社の歴史は古く、駒札によると推古天皇の時代、小野妹子(いもこ)が遣隋使として隋(中国)へ赴く途中、筑紫を過ぎる時、病に罹ったので宇佐八幡宮に参詣し平癒を祈願したら直ちに治ったので、妹子は帰朝後、報恩のため宇佐八幡宮を勧請したのが社の起源である。この付近の上高野には水利が引かれ、数多くの水車「唐臼」(からうす)が稼動していた。本殿脇、燈籠小さな鳩が置かれている。
祭神は、弥生時代の第15代・応神天皇とも伝えられている。当初、社殿は少し南の伊多太神社境内であったが、維新後に三宅八幡神社のみ現在地に移設された。境内東にある池畔、村の水車の紅葉
境内の池三宅八幡神社は俗に「虫八幡」と呼ばれ、子どもの疳の虫封じで知られている。また、田の虫除けの神ともいう。江戸末期頃から信仰を集め、それらの様子が絵馬として奉納されていて境内の絵馬堂で見られる。錆びた鐘らしきオブジェ
風俗研究資料として貴重な絵馬堂現在は、毎年9月15日に行われる例祭には子供連れの参詣者で賑わっている。また、神社の鳥居前に狛犬ならぬ「狛鳩」に気付く、鳩を神のお使いとして祀っており、境内の至る所に鳩のお印が見かけられて茶店にも「鳩餅」が売られていて名物という。
つづく
<洛北 三宅八幡神社>
住所:京都市左京区上高野三宅町22 電話:075-781-5003
拝観自由
交通:叡山電鉄鞍馬線「八幡前」下車、東へ徒歩約2分 
   京都バス 岩倉行き「八幡前」下車、東へ徒歩1分

2010年12月5日日曜日

洛北 蓮華寺(れんげじ)

蓮華寺は北白川通りから大原に向かう途中にあって、かつての鯖街道(現・国道367号線)高野川のほとり上高野の地にある。
都心から離れた場所で比較的観光客が少ないのでゆっくりと紅葉を観賞できる。
イチョウの黄金色の落葉と紅葉山門は小さく質素な門構え
もと、西八条塩小路付近に(現在の京都駅)あった浄土教系の古寺で、応仁の乱後荒廃していたのを江戸時代初期の1662(寛文2)年加賀前田家の老臣・今枝近義が祖父重直の菩提のために、この地に移し再建したものである。
山号は帰命山(きみょうざん)と言い、いまは天台宗の寺院である。観光客と土蔵
小さな鐘楼蓮華寺の再興の際に、詩仙堂を造営した石川丈山や木下順庵、狩野派画家の狩野探幽、黄檗宗の開祖である隠元禅師や木庵禅師ら当時の著名文化人が協力したことが残されている。
山門は小さく質素な門構えながら趣はやはり京の都の佇まい・・・創建当時の山門が今日も残されている。本堂には庭を歩いて行く
書院の東側から清流を導いた座視鑑賞式庭園山門をくぐると庭はイチョウの落葉と紅葉に織りなす光景に絶句!
右には鐘楼があり桧皮葺・宝形の屋根と格子状の側面をもって、釣鐘には「黄檗二世 木庵瑫山僧」の銘が刻印され、宇治萬福寺と同じ形式であった。
左手には約300体といわれる石仏群が並んでいる。市電河原町線の敷設工事に際して発掘されたもので、周辺は戦災や天災による死者や受刑者の屍があった処という。これらの石仏群は大日如来像や地蔵菩薩像が供養している。
山門を入って庫裏まで延びる石畳の参道が目に入ってくる。約300体もある石仏群
黄色い絨毯を敷き詰めた感じまた参道右手に土蔵もある(非公開)。明治時代の初期まで寺子屋の教場として使われていた形跡が残されているという。
蓮華寺は黄檗宗の様式の建築と江戸初期の池泉鑑賞式庭園は書院の東側から、清流を導いた奥行きのある作りになっているが座視鑑賞式庭園で座った目線に合わせての作庭だという。本堂、釈迦如来像が安置されている
本堂に行く間に書院方向をみる書院から右手に見えるのが本堂で、正面は書院から見て裏側になり入り口には石川丈山の筆による寺額が掲げられている。本尊、釈迦如来像が安置され、左側には阿弥陀如来像(鎌倉時代の作)が安置されている。右側にも秘仏として不動明王が安置されている。天井には、狩野探幽が描いたとされる龍の図があったが、明治期に失われ、1978(昭和53)年に仏師の西村公朝によって復元されたものである。 素晴らしい光景
庫裏で手を合わす人本堂前には、六角形急勾配の笠をつけた蓮華寺型石灯籠があり、茶人の間で有名だというが見逃してしまった!苔むした庭園を楓の木々が幾重にも覆う様子は美しく、華厳寺は紅葉のころが最も素晴らしい・・・
<洛北 蓮華寺>
住   所:京都市左京区上高野八幡町1 
電   話:075-781-3494(電話連絡謝絶)
拝観時間:9:00~17:00 
拝観料金:大人・高校400円 ・障害者 無料
交   通:叡山電鉄本線三宅八幡駅から徒歩約10分
       京都バス「上橋」下車徒歩約1分

2010年12月4日土曜日

講演会

RAKU-PCクラブ第4回の例会は、11月28日午後1時30分から4時まで南区洛南身体障害者福祉会館で講演会を開催した。
このクラブは、2004年3月から洛南身体障害福祉会館のパソコン教室の受講者有志で立ち上げた。 パソコンを通じて横の繋がりを蜜にし、相互の親睦交流と情報提供・交換および健康の維持向上を目的し政治や宗教には一切関わりのないものとした。
当初は名前を「ドットCom懇談会」やエクセルから名を取り「SUMIF」になったが、2006年メーリングリスト開設にあたり、名をRAKU-PCクラブに変更した。 障害者が年に4,5回位の催しであり、連絡方法としてメーリングリストを使用している。講演者への謝礼
講演会講演会のテーマは「洛南の障害者とパソコンとは?」と支援センターらくなんを、講演者H・Eさんにお話しいただいた。H・Eさんは、RAKU-PCクラブの会員でもあり、洛南身障者福祉会館2階の「支援センターらくなん」に勤務され長年障害者への生活支援にも携わっておる。
質疑も活発で、洛南の障害者とパソコンとの強い結びつきをあらためて確認した。質疑応答のあと、皆さんの近況報告などが行われた。元々、T・O講師やT・T講師からのパソコンのソフトやハードな面もご指導を受けているが年一回は講演会を開催したい。
しかし集会においても10名の会員が集まらない中で、今回会館パソコン教室で知りあった方々に呼びかけ7名参加してくれ、合計17名の講演会を催す事ができた。
2009年から諸経費として年会費500円を総会時納入し、極少な会費の中から講演者へのお礼は寸志であり、心から申し訳けなく主宰者として詫びる!
会費未納の会員には納入催促するがそれによってもなお納入されず若しくは無回答の場合は退会したものとみなしている。但し、復活を希望する場合は会費納入の上いつでも再登録できる。
RAKU-PCクラブでは今後もさまざまな企画を考え、皆さまからのご意見ご要望を取り入れていきたいと思っている。
※ RAKU-PCクラブのお問合せ
  e-mail : gottuan@violin.ocn.ne.jp