2011年8月7日日曜日

洛西S病院で、その1

日々は遠い過去へと過ぎ去って行くが、今一度病院内の生活を忘れないために記録した。 山科・勧修寺から3時間余、病院に着き骨折が判明し直ちに入院となった!
3階の108号病棟は懐かしい入院の検査・手続きをする一方、署名すら出来ず担当看護師にお願いすることとなった。入院部屋は3階の108号病棟・9人部屋である。
この病院は外来で現在も通院しているが、14年前も脳疾患で千代原口と洛西に長期入院して3階の病棟のベッドも同じだった。
                        19時ごろ病棟のベットで空腹に気が付き、院内食事は規定の数だけでダメで、コンビニでもと思ったが外は雨降り、お茶を飲んで空腹を耐えることになった。
骨折した部分にチタン製の金具を入れ固定する手術説明書入院に必要な荷物も何にもない・・・院内でパジャマも借りた。24日朝6時より絶飲食の札、栄養・水分補給などの目的のため点滴を持続する。
手術当日になり担当看護師や主治医が手術承諾書ことで病棟にくる。局所麻酔は本人が自覚するから良いが、全身麻酔は万一何が起こっても承諾書に同意するようにという家族のサインが必要だった。午後になりやっと、息子と電話連絡がとれたと看護師いう。まったくおちおち怪我や事故には一人暮らしにはなれない!

昼前から手術着になっていると手術室から別の看護師が術前訪問して手術入室と麻酔導入から終了まで詳しく説明した。病名は左橈骨遠位端骨折のための入院診療計画書
13時半になっても手術の連絡がなくイライラして待っていたが15時頃の予定だと告げられた。病棟の看護師が車イスを持って来て同階の手術前室に入った。前室では手術専用に履き替え、ストレッチャーに乗せられ氏名を言って手術部位を確認した。手術室では再度ベッドに仰向けになり血圧計や心電図など身体の酸素量を知るために指先にクリップを挟む、手術室のスタッフは皆坦々と仕事していた。全身麻酔はした事があるがと聞くが、14年前の千代原口S病院で頭蓋骨開頭手術受けた事があるが意識不明で全く記憶に無いと告げた!
点滴から麻酔薬が注入し、針を刺しているところがチクチク痛くなるというが問題は無く、1,2・・・で麻酔薬が効きだしたzzzz・・・。
手術室の看護師が「終わりましたよ・・・」目を開けてください。口を開けて、舌を出してくださいと言う。手術が終わり手術室で少し朦朧となったが麻酔から醒めた。
病棟では看護師が酸素吸入や体温・血圧測定など抗生剤点滴など慌しくしていた。ギブスを巻かれた左手首は痛々しいが麻酔で耐え難い苦痛を取り除くことができ何の異状も無く手術を受けることができた。17時前のことである。だが徐々に麻酔薬が切れだしズキンズキンと激しい疼痛がする。
痛め止めは胃腸を悪くするのでとにかくガマンした。ウンウン唸る疼痛、痛い、痛い!!看護師さんでも誰でもいい、側に看病する人がおったら・・・だけど一人、いない。。。一先ず座薬を頼んだ!
OT室のK作業療法士から左手の運動が指図された3時間が過ぎなんとか痛さは治まった、あの激しい痛さは何だったのだろう?
20時やっとベットの背凭れを起こし夕食を食べたが両手が使えず、看護師さんが食べさせてくれる。またトイレも尿瓶では用をなさず、看護師さんと一緒に車イスでトイレに行き下着を脱がされ用を足したが点滴があり、その回数は2時間起きであった。
(このブログは5月24日手術の模様を書いたものである)
明日からリハビリが始まるが、、、、つづく・・・

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