2010年3月29日月曜日

地蔵院=通称 椿寺

書院の前庭には加藤清正が秀吉に贈った五色八重散椿
昆陽山地蔵院三門地蔵院は通称、椿寺の名で知られ、豊臣秀吉が椿を寄進したことで知られる。
北野白梅町交差点から南へ一条通の角にある。花びらが一枚ずつ散るのが特徴だという
桃色の椿の花正しくは昆陽山(こんようざん)地蔵院という浄土宗の寺院で、「椿寺」の愛称で親しまれ、春、五色八重散椿の咲くころ、大勢の参観者が訪れる。薄桃色の椿
樹齢約120年の二世が花を咲かせている地蔵院は726年(神亀3)に、行基(ぎょうき)が摂津国の建立したのが始まりと伝えられる。その後、平安時代に衣笠山麓に移され、室町時代におきた戦災で焼失したが、3代将軍足利義満が金閣寺建立の余財で再建した。1589年(天正17)に豊臣秀吉の命により現在地、一条紙屋川に移された。薄桃色や白に咲き分ける五色の八重椿
真紅の椿1671年(寛文11)善曳和尚の時、浄土宗となり、知恩院の末寺と改め、本尊を阿弥陀如来・俗にお多福阿弥陀と言われて、高さ3尺木造座像で善導大師の作と言われている。
地蔵堂に安置する地蔵菩薩はもとの本尊で、高さ6尺、乾漆の立像で行基の作のものと伝えられる。安産守護の地蔵として霊験あらたかで、俗に鍬形地蔵、木納屋の地蔵とも言う。
南側の二枚の板扉はもと北野天満宮にあった多宝塔の扉で、内面には、閻魔大王と火天の、極彩色の絵が描かれているが非公開という。安産地蔵さんでよだれかが奉納されている
十一面観音菩薩で高さ5尺3寸木製立像観音堂には、十一面観音菩薩で高さ5尺3寸木製立像、慈覚大師の作で正月三が日と春秋彼岸、地蔵盆にはご開帳だという。
本堂の前には、加藤清正が朝鮮から持ち帰り、秀吉に献上したもので秀吉が北野大茶会の縁から地蔵院に献木されたものである。
「五色八重散椿」は、薄桃色や白に咲き分ける五色の八重椿で、花ごと落ちず、花びらが一枚ずつ散るのが特徴だという。樹齢400年の一世は1983年(昭和58)春、惜しくも枯れ現在は樹齢約120年の二世が花を咲かせている。椿の花と参観者たち
天野屋利兵衛の墓また、境内墓地には赤穂浪士の打ち入りを陰で支えたとされる天野屋利兵衛の墓がある。利兵衛は、晩年地蔵院に隠棲し、名を改め、義士の冥福を祈ったと伝えられる。さらに、俳人与謝蕪村の師に当たる夜半亭巴人(やはんていはじん)の墓や切支丹の墓もある。
訪れたときは、散椿が盛んに散っていて綺麗だった。
<地蔵院>
住所:京都市北区大将軍川端町2 電話:075-461-1263
拝観:参拝自由、9:00~16:00
交通:市バス 50番205番「北野白梅町」下車、徒歩2分。
障害者:可
駐車場:なし

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