2009年9月8日火曜日

金閣寺

8年2月10日撮影した雪の金閣寺
鏡湖池のほとりに立つ舎利殿(金閣)金閣寺は京都市北区にあり、北山と号する臨済宗相国寺派の別格本山で、正式名称は鹿苑寺(ろくおんじ)という禅寺である。
応永4年(1397)に足利3代将軍義満が営んだ山荘・北山殿を、その死後、禅寺に改め、義満の法号をとって鹿苑寺と名付けたものである。この地は、鎌倉時代に西園寺公経の別荘が在ったが、義満が大変気に入り西園寺家から譲り受けた。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に現したと言われている。
ゆらゆらと金色の金箔に水面が反射していた!「陸舟(りくしゅう)の松」
舎利殿(金閣)は、宝形(ほうぎょう)造りこけら葺きの山荘楼閣で、初層は藤原時代の寝殿造りで法水院、第二層は鎌倉時代武家造りの仏間風の潮音洞、第三層は禅宗仏殿風の様式をとり、二層、三層とも漆塗の上に金箔を押してある。漆地に金箔を押した三層構造の建物(正式名称は舎利殿)が金閣と呼ばれている。
実際には三層のうち、金箔が貼られているのは二層目と三層目だけである。特徴的なのは三層全てにおいて異なる建築様式を用いている。中国ではめでたい鳥とされる鳳凰8年2月10日撮影
お釈迦様の骨を祀った舎利殿(金閣)は特に有名で、遠くから眺めると美しく湖面に反射した光りがゆらゆらと影をなしている。屋根の上には中国ではめでたい鳥とされる鳳凰が輝いている。
1467年8月には応仁の乱では西軍の山名宗全が激戦で大半が焼失、また、昭和25年7月(1950)には同寺の若い僧の放火により「国宝・金閣(舎利殿)」が炎上焼失した。5年後の昭和30年(1955)に復元、再建された。さらに昭和62年(1987)に金箔張替修理が行なわれた。焼失以後は、再建された金閣は国宝には指定されていない。
臨済宗相国寺派、北山 金閣寺(正しくは鹿苑寺(ろくおんじ))書院
庭園は金閣の周りの鏡湖池を中心に葦原島や、大小の島や全国から集められた岩や石が置かれ、背景の衣笠山を借景とする池泉回遊式庭園で国の特別史跡、特別名勝に指定されている。
鏡湖池の東側書院の庭には足利義満が植えたとされている樹齢600年の「陸舟(りくしゅう)の松」があり、京都三大松の一つに数えられている。帆掛け舟の形をしており、西方浄土の考えから西を向いて植えられているという。 龍門の滝、鯉魚石(りぎょせき)
茶室「夕佳亭(せっかてい)」
北側には龍門滝があり、鯉魚石(りぎょせき)が中央部に置かれている。この鯉魚石は中国の故事「登竜門」に因んでつけられたという。その西側には義満がお茶の水に用いたと伝えられる「銀河泉」、手を清めたとされる「巌下水」がある。鏡湖池の背後の一段高い山腹には安民沢(あんみんたく)、中央には西園寺家の鎮守といわれる石塔「白蛇の塚」もある。
茶室「夕佳亭(せっかてい)」は小高い場所に建っている。内部の「南天の床柱」と「萩の違い棚」が有名だが、江戸時代、後水尾天皇を迎えるために茶人金森宗和(1584~1656)につくらせた数寄屋造りの茶室である。この名の由来は「夕」日に映える金閣が「佳」いという意味から名付けられた。現在の建物は明治27年に再建された。茅葺のお土産物に・・
最も古い建物で本尊は石造不動明王が祀られている不動堂は安土桃山時代、豊臣秀吉の重臣であった宇喜田秀家が再建したとされ、金閣寺の境内の中で現存する最も古い建物になる。本尊の石造不動明王が祀られており、弘法大師の作と伝えられている。
金閣寺は1994年に古都京都の文化遺産として世界遺産に登録された。

拝観時間 9:00~17:00
拝観料  大人400円(障害者300円)小・中学生300円
駐車場  有料(障害車いす駐車場有り)
アクセス 市バス 12、59金閣寺前下車すぐ。101、204、205金閣寺道下車徒歩2分。
電話番号 075-461-0013 

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