2016年4月11日月曜日

太夫道中 常照寺

10日、洛北鷹峯の常照寺では島原の名妓・吉野太夫を偲ぶ催しが行われた。源光庵前より午前10時ごろ、禿(かむろ)や男衆らを従えて三人の太夫道中の優雅に練り歩いた。
江戸時代初期に島原の名妓とうたわれた吉野太夫を偲んで行われる追善供養である。
太夫は独特の「内八文字」の足裁きで道中も見応えがあり大勢の人が見物に訪れていた。
太夫とは、京都遊郭で最高ランクの遊女の称号で、都の六条三筋町(後の島原)にあった廓の名妓で”遊女”としての最上位にあり、諸芸に優れていて、その美貌も遠く唐(中国)にまで伝わっていたという。
当時のわずか14歳で太夫に上りつめ御所、天皇・公家・武家など上流社会の華であった。
吉野太夫と名乗った遊女は1570年代から1680年頃まで10人いるという。
きらびやかな打ち掛け姿で、禿や傘持ちを従えて、独特の「内八文字」でゆっくりと練り歩く道中姿が最も見ものである。
地毛で大きく結う髪は、花簪で飾り付けを行なう。
黒塗りの三枚歯の下駄は高さが15cmもある。
先頭を行く、桜木太夫さん。
薄雲太夫さんと如月太夫さん。
江戸時代初期に二代目吉野太夫は日乾(にちけん)上人に帰依し、山門を寄進した縁(えにし)もあり、この寺に葬られたことに偲んで、桜の咲く四月に吉野太夫花供養が行われる。(4/10撮影)

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