2016年4月25日月曜日

神幸祭 松尾大社

24日、西京区松尾大社では春祭りの神幸(おいで)祭が営まれた。この神幸祭は平安時代の貞観年間から現在まで神輿が桂川を渡る伝統行事“川渡御”があるので知られている。
大社は平安遷都以前からの社で、秦一族の氏神として祀られたのが始まりで、五穀豊穣や家内安全を願ったもので千年の歴史を刻むとと伝わる。
秦忌寸都理(はたのいみきとり)が701(大宝元)年に松尾山頂に一族の氏神として社殿を建立、秦氏が神職を受け継いできたのが起りとされている。
法被を着た威勢の良い與丁(よちょう)たちはカチャカチャと鳴る神輿の鳴鐶(なりかん)を手に六つの各地区が本殿に向った。
本殿の御分霊を受け、神職は神幸祭を祈念して神輿に魂を入れお祓いした。
祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の二座で、大山咋神は上賀茂社、賀茂別雷神の父神である。
本殿前の満開のヤマブキをバックに神輿が三回拝殿廻しをして楼門の外へでた。
威勢の良い與丁たちは二の鳥居に無事担ぎ終え、観衆の拍手喝采を浴びていた。
赤鳥居の上部には榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下がっているが「脇勧請」と言って、月々の農作物の出来具合を占った太古の風俗を今に伝えている。
松尾七社は、本殿の御分霊を受けて拝殿廻し(三周回)後、月読社の唐櫃一基と六基の神輿が出発、松尾大社の春祭り、桂離宮西岸へ向かって神輿は船渡御に続いた。
桂川を渡る伝統行事、神輿の「船渡御」が行なわれるはずで、大勢の方が見物に来ていた。
しかし、桂川が増水のため今回は月読社の唐櫃一基のみが「船渡御」、六社は桂大橋を歩いて渡った。 なお5月15日還幸(おかえり)祭が行われる。(4/24撮影)

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