2015年12月14日月曜日

宮川町 事始め

祇園甲部に続いて、宮川町の事始めに行き、美しいな芸妓さんと可愛い舞妓さんの姿を見ることが出来た。
花街では12月13日になると新春を迎える準備に入り一足早く、芸舞妓さんたちが新年の「おめでとうさんどす」のあいさつを交わした。
その昔、太閤秀吉公が方広寺や伏見城築城により、大和大路街道沿いには人の往来が増え町並みができたという。
それが現在の宮川筋と呼ばれる所以である。
宮川町は天正三年に出雲の阿国が歌舞伎踊を信長公に許しを受け、慶長八年頃、阿国の娘二代目阿国が宮川河原で歌舞伎を興業して人気を呼んだ。
当時の歌舞伎の流行とあいまって、茶屋町として発展、宮川町に水茶屋が建ち、芝居小屋が数多く立ち並んだという。
男だけの若衆歌舞伎が始まり、それに出演する若衆の宿が宮川町に軒を並べていったという。
当然女形を演じる若衆が必要で、当時の美少年が選ばれ、現在の女形役者へと発展したという。
南座吉例顔見世興行は26日が千穐楽で宮川町と歌舞伎踊のなり合いを知ることができた。
花街の事始めは、京都の師走を象徴する風物詩として知られ、この日から、お正月の準備が始まることから、古くは”正月起こし”とも呼ばれている。
宮川町の紋章(三つ輪)は、一説には宮川の故事から三体の神輿を象徴したとも謂われ、宮川の「みや」を語呂の合う三つ輪として考案されたとも言われているという。(12/13撮影)

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