2014年12月16日火曜日

山科義士まつり

14日、大石内蔵助ゆかりの地、京都の年末を彩る風物詩の一つである「山科義士まつり」が毘沙門堂から大石神社まで行列が練り歩いた。
大石内蔵助ゆかりの地、「山科義士まつり」が行なわれた。午前10時、毘沙門堂から、討ち入りの装束を纏った義士隊四十七士や子ども義士隊など、総勢200人が出陣した。
討ち入りの装束を纏った義士隊四十七士。義士隊は、瑞光院、ラクトB棟大丸前、外環状線、東部文化会館から新十条通って岩屋寺から大石神社の約6㌔を巡りながら練り歩いた。
討ち入り装束に身を固めた義士隊は瑞光院を通過した。
総勢200人の行列が練り歩いた。今年から東部文化会館に変わり、舞台では「刃傷松の廊下」や「切腹」、「連判状改め」「討ち入り」などパフォーマンスや「元禄花見踊り」なども披露されたが前・後半でお届けしたい。
婦人列は、遥泉院、戸田の局、おりく、勘平、おかるの5人。
「山科義士まつり」は大石内蔵助良雄が京都の山科の地に隠棲した。この「山科義士まつり」は大石内蔵助良雄が浅野家再興に尽くしながら叶わず、吉良邸討ち入りを決意するあいだ、京都の山科の地に隠棲した。
大石内蔵助と赤穂の義士たちをしのぶとともに、山科の住民と企業、行政が一体となり1974(昭和49)年から始められ、今年が第40回になったという。 
JR山科駅前で・・・。
山科駅近辺では義士隊四十七士の雄叫びがあった。山科駅近辺では義士隊四十七士の雄叫びがあった後、ラクトB棟大丸前の休憩に入った。
ラクトB棟大丸前で、パチリ・・・。
婦人列の先頭を切って進む方は遥泉院、戸田の局、おりく、勘平、おかるの5人であった。
映画村から拝借した刀は、触っても好いと申した千葉三郎兵衛さん。
くつろぐ三人の義士隊。東部文化会館の舞台では、東映太秦映画村の協力を得て行なわれた「刃傷松の廊下」や「切腹」「連判状改め」「討ち入り」などの芝居は写真撮影が出来なかった!
メイクされた義士隊は討ち入りの装束もばっちり決まって迫力があった。
毘沙門堂内のリハーサル。会場はたくさんの方々で一杯になったが、やはり残念なことは芝居などの記念写真を撮影することが大切であるとおもった。
大石内蔵助義雄と参謀役の原惣右衛門。
後半は、幼稚園児による子ども義士隊や女性陣による「大石音頭」、「元禄花見踊り」をお送りしたい・・・。岩屋寺から大石神社をつづきとする。(12/14撮影)

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