八朔は、もともと旧暦の8月1日(朔は一日の事)で、この頃、稲の穂が実るころ、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあったという。
八月朔日の略で、旧暦の8月1日のことで、花街の8月1日は八朔と言う特別な日である。
礼服の黒紋付き姿の芸舞妓さんたちは、お姉さん芸妓さんたちと連れ立ち、足早に芸事の師匠宅や普段お世話になっているお茶屋さんを訪ね廻り「おめでとうさんどす、相変わりませずおたの申します」と、にこやかに挨拶を交わした。
祇園甲部の八朔の模様で芸舞妓さんが汗を拭きながら黒紋付姿で挨拶した。
髪は「奴島田」に結う、知人に会釈するこのことから「田の実の節句」ともいう。
この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家や公家の間でも、日頃お世話になっている人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになった。
本家や得意先、さらに贔屓(ひいき)と感謝を願い、挨拶回りをする習わしがあり、花街では今もこの習わしが残っておる。
これが一般社会にも八朔に物を贈る習慣が定着し「お中元」の風習となってたという。
今日は曇天だが蒸し暑く汗が滴るが、美しい芸舞妓さんの着物姿に暑さもふっと飛んだ。
舞妓さんの髪は奴島田、赤い鹿の子にひすいと珊瑚にべっ甲、贅沢ですがよくお似合いで可愛らしい。
黒の正装姿の彼女たちは、いつにも増して美しく清々しい、挨拶廻りは9時半頃から昼頃にかけて行われた。
舞妓さんは「奴島田」に髪を結い、絽の五つ黒紋付、絽の黒紋付で正装し、あいさつをした。その光景を写真に収めようと大勢の写真愛好家や観光客らが集まり、一力亭周辺は賑やかだった。
花街では新暦の現在も八朔の行事が続いており、京の夏の風物詩になっている。つづきは宮川町の八朔。
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