愛宕念仏寺は奈良時代の764年から770年頃、稱徳(しょうとく)天皇により東山区松原通大和大路東入(旧愛宕郡おたぎぐん)の地に建立された愛宕寺に始まる。
平安時代の初め、鴨川の洪水により堂宇が流失したため、比叡山の僧・阿闍梨伝燈大法師千観内供によって中興され、等覚山愛宕院と号する天台宗延暦寺の末寺となった。
大正11(1922)年、本堂の保存のためにこの地に移築された。 境内には、参拝者によって彫られた千二百体に及ぶ羅漢の石像が表情豊に建ち並び、和やかな雰囲気を漂わせている。
本堂(重要文化財)は、方五間、単層入母屋造りで、度々移建され補修を加えられているが、鎌倉時代中期の和様建築の代表的遺構である。
堂内には、本尊の千手観音像が祀られている。 また、地蔵堂には、火之要慎のお札で知られる火除地蔵菩薩座像が安置されている。
これは、火伏せの神として信仰されている愛宕山の本地仏が地蔵菩薩であることに由来するとされる(以上、駒札を引用した) 。
嵐山や大覚寺など奥嵯峨野めぐりの始発点として知られ、化野(あだしの)と愛宕の二つの念仏寺があり、清滝から愛宕山参道の山麓の入り口に位置する。
化野念仏寺から北西の方向にある愛宕念仏寺は、なんと言っても見どころは石を刻んだ珍しい千二百体もの羅漢さんたちである。
仁王門(昭和56年)解体復元修理を行なった際に、境内の羅漢像でいっぱいにしようと住職さんが発願され、素人の参拝者が自ら彫って奉納する『昭和の羅漢彫り』が始まったという。
当初は五百体が目標だったが、10年後には千二百体に達し「千二百羅漢慶法要」が平成3年に営まれた。境内のいたるところに羅漢の石仏が並ぶ様は、まるで日本の石器時代を思わすようで寄り添って野辺に座っている。
この羅漢像は1,200人の一般の参拝者が自分で彫ったもので、羅漢の石像が表情豊かに建ち並び、和やかな雰囲気を漂わせていた。
五百羅漢は各地の寺院であるが、愛宕念仏寺は 素人が作り上げた羅漢、どれもが個性的でユーモアもあり可愛い、ほのぼのした羅漢たちで思わず頬が緩んだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿