つづく・・・ことしの西国街道「ひな人形めぐり」は23会場だが、展示に携わった多数の人たちを思うと、忍びなく筆者の富永屋、塩崎家、中小路住宅等の会場のひな人形飾りを観賞することを許されたい。※(2/29向日市文化資料館休館日であった)
西国街道は、秀吉が拡張・整備したことから、「唐(から)海道(かいどう)」とも呼ばれた。「歴史の道」の石畳を西方に向けて一文橋へと進む、軒まで漆喰塗りや穀蔵、出格子窓をつけた長屋門があり塀が連なり、旧家の屋敷構えを伝えている。
「国登録有形文化財」の中小路家は、西国街道に沿った住宅で、敷地中央北寄りに建つ主屋に、上質なつくりの座敷を備えた民家である。玄関で500円(お茶券付き)を払い座敷に入ると、琴と尺八による‘ひなまつり’の生演奏も聞こえて来た。
広い邸宅の屋敷の座敷にはひな人形の段飾りが所狭しと並んでいた。 まず江戸時代の雛人形、古今雛・人形を納める木箱のふた裏に1858(安政5)年と墨書されているという。
隣には大正時代の雛人形の古今雛・段飾りは1919年の制作、薬玉は江戸中期から末期にかけて、端午(たんご)の節句の装飾に多く用いられたが、雛人形にも使われていた。また江戸時代の雛人形、有職雛は装束の布・小物地、髪型が公家の生活に模して作られたという。
有職雛は俗に「新婚雛」と言われ、男雛は「びんぷく(髪幅)といわれる二つの輪がさがっている少年の前髪」、女雛も髪を長く、若年のものであり、濃き袴(紫に近い濃い紅色)を着用していると説明をしていただき、その珍しさと貴重さがわかった。
江戸時代の初参(ういざん)人形は、参内人形とも呼ばれ、御所に公家の男児が参内したときに賜る人形でこの名が付いた。座敷の奥は雛人形の段飾りが3つ置いてある。また雛掛軸もある。さらにつるし雛というのも飾られていたが、鶴や亀は縁起ものだが、唐からしがある、さぁ~問題、誰かが自信なさそうに、虫がつかない?その通り、手塩にかけた子の成長を祈っておる。
ひな人形はたくさん飾っておったが、3ヶ所の会場で観賞することはできなく残念であった。子どもの無事の成長を願う親心はいつの世も同じ、子どもの人形遊びが一体となって人々の間に広がった「西国街道ひな人形めぐり」は現在も地域の発展を目指し復活している。
1715(正徳5)年の年号を刻む愛宕燈籠、風情ある街道沿いの散歩道、白壁の土蔵や塀、門などが連なり、往時の景観を今に伝えている。(完)
<ひな人形展>
会 場:中小路家住宅
場 所:京都府向日市上植野町下川原48 電話:075-921-2657
期 間:2/22~3/3
営業時間:午前10時~午後5時
定 休 日:毎週 月・火 イベント開催時
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