上京区にある大報恩寺(だいほうおんじ)は通称・千本釈迦堂の名前で知られている。今出川通り「上七軒」バス停を北へ200mの所にある。
7日、8日の2日間、この時期、厄除けや無病息災、中風封じを祈願した「大根(だいこ)だき」の授与で千本釈迦堂は大勢の善男善女の人たちで賑わった。
「大根だき」だが、鎌倉時代に同寺の僧が、12月8日釈迦の悟りを祝う法要・成道会で、切り口に梵字を書いた大根を参拝者にふるまったのが起源の始まりという。
大報恩寺は真言宗智山派の寺院で山号は瑞応山(ずいおうざん)という。
1227(安貞元)年、鎌倉時代初期に本堂(国宝)は義空上人によって創建された。義空上人は藤原秀衡の孫で比叡山で修行の後ここを建立した。
本堂は摂津の材木商の寄進をうけ完成、建立に関して大工の妻の「おかめ」に関する伝説が伝えられている。本堂造営工事には秘話がある。棟梁になった長井飛騨守高次は、誤って柱一本を短く切り、途方にくれていた。その様子を見かねた妻「おかめ」が、長さを補う方法を進言して、高次は無事竣工させたという。しかし、おかめは、一切を秘すため上棟式の前日に自刃した。妻の心情にうたれ高次は当日、御幣の先にお多福(おかめ)の面を飾り冥福を祈った。
こんにちでも、上棟式の御幣に、「おかめの面」をつけて建築成就、厄難消滅、家業繁栄を祈る風習があるのはこの故事によるという。なお節分会は、おかめ節分ともいって「おかめ塚」で豆まきやおかめ音頭などが行われる。
本堂は応仁・文明の乱にも焼けることはなく創建当時のもので洛中最古の建造物で「国宝」となっている。また近隣の北野天神(北野天満宮)門前にあった「北野経王堂」の遺物も保管されていて、「明徳の乱(山名氏清の乱)」を足利義満が悼んで1401(応永8)年に建立したものである。本堂内には柱に刀・槍の傷跡が見られ当時の歴史の一こまを物語っている。
7日は朝の冷え込みも無く、暖かかく小春日和に誘われて境内の外まで長い列が出来ていた。境内に並べた直径1メートルの大鍋の周りには多くの参拝者が1椀1000円の大根だきに長い列を作って湯気が立ち上る、味のしみた大根をほおばっていた。おあげと大根が焚かれ、辺りは大根の甘い香りが漂っていた、2日間でおよそ5000本の大根が使われるという。
二十四節気の1つで、寒さが厳しく雪が降り始めるとされる「大雪(たいせつ)」の時期に毎年行われる「大根だき」は京都の師走の伝統行事である。
<大報恩寺(千本釈迦堂>
「大根だき」12月7・8日 午前10:00~16:00 一椀1000円(有料)
住 所:京都市上京区五辻通六件町西入ル溝前町1305
電 話:075-461-5973
拝 観:境内自由・9:00~17:00(本堂、霊宝館 大人500円)
交 通:市バス「上七軒」下車、北へ徒歩約2分。
障害者:可
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