30日、嵯峨野・宝筐院(ほうきょういん)の紅葉も美しく、嵯峨釈迦堂(清涼寺)西門から愛宕道を徒歩4分ほど行ったところに、細長い路地奥に厭離庵がある。
「小倉百人一首」の藤原定家(ふじはらていか)ゆかりの非公開寺である。
藤原定家が小倉百人一首を編纂(へんさん)した山荘「時雨亭(しぐれてい)」が小倉山の麓にある。
「見渡せば 花も紅葉もなかりけり
浦のとまやの 秋の夕暮」
山荘も定家亡き後には荒廃するが、1772(安永年間)年の間に冷泉家が再興、霊元法皇から厭離庵の寺号を賜り臨済宗天龍寺派の寺院となり、白隠禅師の弟子の霊源禅師が開山されたが再び荒廃した。
1910(明治43)年、当時の白木屋の社長が仏堂と庫裡を建立し再興して、山岡鉄舟の娘である素心尼が住職となって、それ以降つい最近まで尼寺となっていた。
境内には本堂、本尊は如意輪観音。庭園の隅に石塔・定家塚があり、庫裡の横にある時雨亭は、大正時代に茶室として再建されたもので床や書院窓、文机などは桂離宮を模して建てられたといい、広縁は苔寺の湘南亭を模したという。また、屋根裏は傘のような形で、高台寺の傘亭を思い出した。時雨亭の傍に、定家が筆を洗う水を汲んでいた「柳の井」と呼ばれている井戸がある。
小倉山山麓には定家の「時雨亭」跡とされる処が、厭離庵の他に小倉山中腹の常寂光寺と二尊院の裏山にある。既にどちらも観たがいずれが本物かは定かではなく謎である?
普段は“拝観拒否”の札が下がっているが、秋の「特別一般拝観」が公開され、この厭離庵の紅葉も見事で苔むす小さな庭園に真っ赤な紅葉がさらに彩りを添えている。庫裡とつながる広間の広縁、そこから眺める庭園の紅葉が美しく、今昔も詩づくりの環境を漂わせている。厭離庵は“紅葉の季節”のみ公開されている。
奥嵯峨方面に向かって歩いていくと、右手に細い路地の入口に「厭離庵」の看板が出ている。風情のある静かな佇まいで訪れる人も少なく、晩秋の散り紅葉は格別素晴らしい。
<厭離庵>
住 所:京都市右京区嵯峨ニ尊院門前善光寺山町2
電 話:075-861-2508
拝観料金:500円 障害者・300円
「紅葉の季節」11月1日~12月上旬のみ公開
上記以外は要予約
拝観時間:9:00~16:00
交 通:市バス 嵯峨釈迦堂下車 徒歩約10分
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