2012年5月4日金曜日

「御禊の儀」上賀茂神社

4日、左京区の上賀茂神社で、京都三大祭りの最初を飾る「葵祭」を前に、ヒロインの斎王代が身を清めて祭りの無事を願う神事「御禊の儀」が厳かに営まれた。
葵祭の前儀式で両神社隔年交替で行なわれる斎王代が身を清めて祭りの無事を願う神事「御禊の儀」1956(昭和31)年、御禊の儀は復活し、斎王代と女人たちが御手洗(みたらし)川に手を浸し清めて禊をする儀式で葵祭の前儀式で両神社隔年交替で行ない、ことしは上賀茂神社行われた。
橘殿に座った童女と斎王代新緑の影にみえる斎王代の亀井さん新緑の上賀茂神社に午前10:00過ぎ、雅楽の調べに合わせて十二単衣姿に身を包んだ斉王代(第五十七代)は約50人の童女(わらわめ)と女官らを従えて参道を進み、橘殿に着座した。
「橋殿」から人の形をした形代を流して厄災を取り除く本殿に一礼する楽舎の雅楽の流れる調べに合わせて斉王代は神前で御祓いを受けた後、ゆっくりと御手洗川の前まで歩き、斉王代は童女に導かれ川辺に移り、御手洗川に進み厳かに水に手を浸し入れて身を清めた。
色鮮やかな衣装の女官たち胸にはフタバアオイ葵祭の『斎王』は未婚の内親王が務めたが、現在は京都在住の未婚女性から選ばれるため「代」を付けて呼ばれているもので嵯峨天皇の有智子内親王が初めて「斉王」となって千二百年と歴史がある。
記念撮影だったが生憎の小雨で土舎になった童女(わらわめ)と女人大勢の参観者が見守る中、第五十七代斎王代、亀井敦子さん(28)は川に架かる「橋殿」から罪や汚れを流し、心身ともに清浄潔白となって形代(かたしろ)を流した。
第五十七代斎王代、亀井敦子さん御禊の儀、15日は晴れるよう祈ってる「御禊の儀」は平安朝の優雅な古典行列で平安貴族そのままの姿で王朝絵巻を思わせる色鮮やかな十二単(ひとえ)衣姿で神事に臨んだが、一足先にヒロイン・十二単衣姿に身を包んだ斉王代や女人列に写真愛好家と参観者は葵祭の雰囲気になっていた。
着慣れない十二単衣姿に身を包んだ斉王代の亀井さん、お疲れ様でしたご両人とも帯びはアオイが付いていたただ残念だったことは時折小雨が降り、斎王代や女人たちの煌びやかな平安朝の優雅な衣装での撮影は土舎で行われた。15日の葵祭当日には快晴となってもらいたい・・・

2012年5月3日木曜日

流鏑馬神事 賀茂御祖神社

3日、葵祭の前儀として道中を払い清める『流鏑馬(やぶさめ)神事』の伝統行事が下鴨神社で午後1時から行われた。
流鏑馬の儀式は古来からの法式によって近衛府(このえのつかさ)の大将が長官眩しい新緑のなかを行進する公家風の束帯姿や武家風の狩装束姿に身を包んだ射手たち新緑が輝く境内の「糺(ただす)の森」で、全長約400mの馬場を公家風の束帯姿や武家風の狩装束姿に身を包んだ射手たちが、疾走する馬上から三ヶ所の的を目がけて矢を射る勇壮な神事であった
武家風の狩装束姿100数年ぶりに復活、小笹原流同門会が流鏑馬神事を行っている1973(昭和48)年、下鴨神社の式年遷宮の記念行事として、名称を流鏑馬神事と改め、100数年ぶりに復活、小笹原流同門会の支援を受け、賀茂祭(葵祭)の前儀・流鏑馬神事が行われている。
一気に疾走する人馬一体の一瞬の妙技に観覧者たちは、あっけにとられていた100mおきに設けられた3つの的を狙うこの日は曇天、薄日がこぼれる「糺の森」の約400mの馬場を15秒間で一気に疾走する人馬一体の一瞬の妙技に観覧者たちは、あっけにとられていた。流鏑馬は、「矢伏射馬」とも書れ、馬を走らせながら鏑矢を射ることである。
二つ目の的で落馬転倒した方は、おでこに擦り傷、会場からは拍手を頂いていた中々上手く撮影ができない!100mおきに設けられた3つの的を狙い、「イン、ヨー(陰陽)」という掛け声とともに矢を放ち、的の板が「カーン」と割れるたびに大きな歓声がわいた。
流鏑馬神事が終わったことを神に報告する葵祭の前儀として道中を払い清める『流鏑馬(やぶさめ)神事』の伝統行事その歴史は雄略天皇の即位の年(457)に「騁射(うまゆみ)」を行ったと伝え、また天武天皇9年(682)「長柄宮にて馬的射」ともあり、これもまた流鏑馬のことで、古くから行われていたという。 その後は、武家が狩装束姿を着け、流鏑馬を行うのが習となっている。
社務所の前でも撮影していた総門前で記念撮影馬上に手綱を放し、弓を射る様に勇壮な伝統“流鏑馬神事”に大勢の観客が魅了していた。
<流鏑馬神事>
賀茂御祖神社(下鴨神社)
住所:京都市左京区下鴨泉川町59 電話:TEL 075-781-0010
拝観:境内自由     
        ●流鏑馬神事 特別観覧料2000円(葵祭冊子付)
交通:京阪本線「出町柳」駅、叡山電鉄「出町柳」駅下車、徒歩7分

2012年5月2日水曜日

キリシマツツジ2012 長岡天満宮

30日、長岡京市にある牡丹の乙訓寺とキリシマツツジで有名な天満宮の八条ヶ池を訪ねた。
天満宮の鳥居とキリシマツツジ長岡天満宮の参道京都府長岡京市の天満宮では、牡丹もキリシマツツジもシーズンがほぼ同じ時季なために社務所に案内パンフレットを置いているが、牡丹もツツジも満開になっていた。
八条ヶ池のキリシマツツジは市の天然記念物に指定されている東側から観た八条ヶ池のキリシマツツジ長岡天満宮の八条ヶ池のキリシマツツジは、樹齢100~150年位と推定されており、約80株が植えられていて長岡京市の「天然記念物」に指定されている。大勢の方が真っ赤に咲くキリシマツツジに見惚れうっとりとしていた 。
真っ赤に染まる「太鼓橋」は加賀百万石の前田候の寄進キリシマツツジと老舗料亭・錦水亭江戸時代に当地一帯を領した「八条宮智仁親王」が、境内の東側に“八条ヶ池”を築造された。1638(寛永15)年、天満宮は皇室の崇敬が厚く天満宮の東側に、南北に細長くのびるこの池は親王にちなんだもので、翌年境内周囲に堀を掘ったと伝わっている。
キリシマツツジが生きている様な感じがしたキリシマツツジは、樹齢100~150年位以来今日まで農業用の溜め池として利水され、外周は約1㎞、貯水量は約35000トンもあり八条ヶ池は農作物に潤いを与えている。 豊かな八条ヶ池を二分する中堤は、今も参道として使われており、真ん中の石の「太鼓橋」は加賀百万石の前田候の寄進という。
鳥居とキリシマツツジを漫ろ歩く真紅の花を咲かせるキリシマツツジ中央にのびる中堤には、真っ赤な“キリシマツツジ”が両側の参道に植えて訪れる観光客・参拝者らは感激のあまり発する声もない・・・。真紅の花を咲かせるキリシマツツジは、九州南部にある霧島山に因んで「霧島ツツジ」と名付けられた。霧島ツツジは野生に近い品種で、大きく株別れしており高さ2.5m~3mにもなるという。
八条ヶ池南畔より遠方に微かに愛宕山を望むツツジと遅咲きの普賢象桜 八条ヶ池のキリシマツツジは有名で、その見事な緋色の回廊は我が国随一と言われ、花の満開の季節には多くの参詣者や観光客で賑わっている。長岡天満宮の真紅の花を咲かせる「キリシマツツジ」と乙訓寺の「牡丹」の花々を求めて訪れる観光客や参拝者も多い。
六角舎からみた絵になる風景六角舎からキリシマツツジを見る八条ヶ池には水上橋がありその途中には六角舎もあり、風光明媚な池畔には1881(明治14)年からの老舗料亭・錦水亭の張り出しお座敷があり、水面に浮かぶ大小の数寄屋造りの建物と周囲の自然豊かな景観が見事に調和している。長岡京名産の竹の子料理を食べながらキリシマツツジを鑑賞することができる。とれ立て竹の子の刺身は逸品だが、予算の都合で出店で買う竹の子弁当もなかなかの春の味だった!
ツツジのシーズンを迎えたあやめかカキツバタ?真紅の花を咲かせる「キリシマツツジ」は、壮大で周辺はツツジの花を求めて訪れる観光客・参拝者も多く中堤と中ノ島を結ぶ総檜造りの水上橋を含む一帯は、「八条ケ池ふれあい回遊のみち」と名付けられ、人々に親しまれている。
<長岡天満宮・八条ヶ池 キリシマツツジ>
場所:京都府長岡京市天神二丁目15-13 :TEL 075-951-1025
拝観:自由
交通:阪急電車「長岡天神」駅から徒歩約5分    
JR「長岡京」駅から徒歩約15分
※シーズン中は長岡天満宮(長岡文化会館前)
・牡丹の乙訓寺へ行かれる方はシャトルバス(運賃100円) 利用の方がよい。

2012年5月1日火曜日

乙訓寺の牡丹 2012

30日、京都府長岡京市にある真言宗・大慈山乙訓寺へ牡丹を観賞に行った。弘法大師ご在住の寺としても、牡丹の寺としても多くの人々に親しまれている。
乙訓寺の牡丹は、本山の「長谷寺」から贈られた真言宗・大慈山乙訓寺の本堂と牡丹寺伝によると七世紀ごろ、推古天皇勅願により聖徳太子の創建となっている。
大輪の牡丹弘法大師ご在住の寺としても知られている聖徳太子はこの地に木像の十一面観世音菩薩像を本尊とする伽藍を建立した。現在では大和長谷寺を本山とする真言宗の寺として知られている。
真っ赤な牡丹日傘を差した牡丹 1558~1569年(永禄年間)、織田信長の兵火により一時衰微したが1693年(元禄六)、五代将軍綱吉は堂宇を再建して乙訓寺法度をつくり寺領を寄せ徳川家の祈願寺とした。
種類の違う白い牡丹ことしで四年も訪れている 牡丹の花に魅了して綺麗な花の咲くころ毎年訪れている。ことしは春が遅かったが四月下旬気温も上昇し一気に牡丹の花が開いた。 これに前後して、つつじも咲き陽春は花の寺と様代わりする。
黄色の牡丹はやや晩めの咲く当寺の牡丹は、1940年(昭和15)本山の「長谷寺」から贈られた二株からスタートした。
牡丹が咲き誇る以前の当寺は、表門から本堂まで続く松並木が美しいところだったいう。しかし、1934年(昭和9)、室戸台風で倒木し多大な損害を受けたという。
これから咲く紫色の牡丹白い牡丹の芯は赤い長谷寺第68世能化(住職)海雲全教和上が境内の被害をご覧なり、本尊への供花・荘厳花、参拝者の安らぎを念じられ、牡丹(長谷寺)二株を寄進されたのが始めである。永い間住職が丹精込めて育て、いまや30品種2000株にもなり関西のボタン寺との異名がつくほどになった。
住職が丹精込めて育て、いまや30品種2000株にもなり関西のボタン寺との異名がつくほどになったいまがピークの見ごろ境内は色鮮やかな白・赤や紫・ピンク黄色等などの様々な種類の美しい牡丹が花を咲かせて私たちの目を楽しませてくれる。 見ごろはゴールデンウィーク中だが、いまを盛りとうららかに花びらを吹く風になびかせている。
スケッチや一脚・三脚は使用禁止になっている寺なのに鳥居があった!なお写真撮影はOKだが「スケッチや一脚・三脚」は使用禁止になっている。当寺に最も便利なのはシャトルバスが良く、長岡京記念文化会館前より100円で運行している。
<乙訓寺の牡丹>
住 所:京都府長岡京市今里3丁目14-7 電 話:075-951-5759
拝観時間:8:00~17:00 入山料:500円 ・障害者400円
交  通:阪急電鉄「長岡天神」駅下車西へ3分、長岡京文化会館前
■乙訓寺シャトルバスを利用    
※シーズン中は長岡天満宮(長岡京文化会館前)~随時運行中
駐車場:あり「黒池駐車場」1日500円 午前10時~午後4時まで
■車=名神高速「大山崎」IC~数分