2012年3月7日水曜日

西国街道「ひな人形めぐり」その1

京都府向日市内の西国街道沿いの旧家で「ひな人形めぐり」の公開展示が行われた。西国街道は、京都の東寺口を起点として、摂津西宮に至る、古くからの幹線道路区域で向日市は西日本面積が小さく、歩いて回れる規模という。ひな人形めぐりが始まったのは2009(平成21)年からでことし4年目を向えた。西国街道は、京都の東寺口を起点として、摂津西宮に至る、古くからの幹線道路
江戸時代、富永屋は旅籠だった西国街道「ひな人形めぐり」のこのイベントは2/22~3/4までで、ことしは23会場が参加し古くから家族代々に伝わる品や、現代の手作り品など華やかで多彩な展示が繰り広げられた。神崎屋は1月からひな人形出していた
筍を販売する老舗、神崎屋
その中で向日市文化資料館や旧家「中小路家住宅」「富永屋」「塩﨑家」などで催され、江戸時代から明治・大正・昭和・平成のひな人形などが公開展示されていた。最初にまず、タケノコを販売する店の一角でも豪華な飾りが華やかさを伝えていた。
古今雛の段飾り富永屋の御殿雛
続いて昔、向日町でいちばんの宿屋だった「富永屋」に入った。
会場の富永屋の建物の中は土間で、奥座敷の中は古い様式が残されていて‘ひな人形’ 飾りがまるで活きているような錯覚に陥った!
ひな人形飾りは昭和5年(1930)製作の「古今雛(こきんびな)」段飾りと昭和6年(1931)製作の「御殿雛(ごてんびな)」段飾りが飾られていた。
黒漆塗りの雛道具を収めた桐の長持には、浮き線蝶の家紋が入っていた
また「浮き線蝶紋入り長持」昭和6年の御殿雛が収められていた長持ちは、雛道具と同じ家紋が入っていた。富永屋に展示している雛人形は、昭和初期に和歌山の造り酒屋の長女が誕生したものだ。古今雛は、初節句に京都の実家の祖父母から贈られた。黒漆塗りの雛道具やそれらを収めた長持には、浮き線蝶の家紋が入っている立派なもので、当時、京都から和歌山へは船で運ばれたという。北側の土間には古風なカマドがあった
旅籠・富永屋雛掛け軸もあった。北側の土間には古風なカマドがあり、桐の長持ち箪笥もあり好いものを見せてもらった。富永屋は江戸中期の構造を残す店棟で、屋根裏から発見された棟札から1735(享保20)年、上棟されたと伝えられている。富永屋の外観、大きなヤマモモの木がある
向日町は豊臣時代に誕生した向日町の伝統建築物として末永く保存されたい。西国街道「ひな人形めぐり」明日は塩崎家につづく・・・
<西国街道「ひな人形めぐり」>
会場:富永屋
住所:京都府向日市寺戸町東ノ段1
期間:2012/2/24~3/4
料金:100円 ※建物維持ため「保存修復協力金」

2012年3月6日火曜日

京都御苑 梅林

3日午後、京都御苑の梅林に梅の花を観に行ってきた。
いつもなら観梅の見ごろは2月中旬であったが今年は春の到来が遅い・・・八重のピンクの梅の花
梅花は高く上に伸びている京都御苑は、周囲約4kmの広大な公園で現在、自然豊かな国民公園となっている。一重の紅梅
一重の白い梅の花梅林は「禁門の変」のあった蛤御門(はまぐりごもん)の南方に位置し、2月中旬には約20種220本の梅の木の花が咲き誇っている。
出水の小川北側付近にある紅梅はほぼ満開八重の紅梅しかし、ことしは2月末になっても寒く降雪で、梅の蕾が閉じてしまった。
3月になり陽春になったが梅林及びその周辺で咲き始めた梅の花はまだまだ数本、この春雨で一気に梅のツボミが花を開くことを期待?
見ごろは3月中旬になる気配が感じられた。
つぼみがたくさんあるもう少し暖かな日差しを迎えたなら満開になるだろう!
出水の小川北側付近にある紅梅一本二本だけは七分咲きになっている、この木が苑内で一番早く開花するという。また黒い木肌の梅の木が植えられている「黒木の梅(九條家跡北側)」は、ことしの寒さのため開花が10日程遅れている。出水の小川と白梅の木
梅の香りは芳しい情報によると京都御苑の梅林は‘つぼみふくらむ’だったが、観梅の季節を迎えるのにはもう少し暖かな陽光が必要とおもった。

2012年3月5日月曜日

下鴨 河合神社(かわいじんじゃ)

つづく・・・葵祭りでも有名な賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は‘通称’下鴨神社といって、境内の中にある糺の森(ただすのもり)があり、縁結びや子育ての神として崇められておる。また、境内には十二支の守護が祀られている。縁結びの「相性社」や連理の賢木(れんきのさかき)がある。 お寺の山門を思わせる表門
境内の中間に河合神社があって糺の森(ただすのもり)がある1983(昭和58)年に森林の全域が国の史跡として指定・保存されている。また1994(平成6)年には神社全域が世界遺産に登録になった。表門入ったところに拝殿がある
本殿この糺の森の緑地の中にたたずんでいる河合神社は下鴨神社の摂社である。
正式名称は鴨河合坐小社宅(かものかわいにいますおこそべ)神社で、祭神は玉依姫命(神武天皇の御母神)で賀茂社の社家に祀られていた。 
1887 (明治10) 年、下鴨神社の第一摂社に列せられ、現在の社殿は1679 (延宝7) 年式年遷宮により造営された。古殿を修理建造したもので、下鴨神社の本殿と同じ三間社、流造、桧皮葺である。
境内には「方丈記」の著した鴨長明の資料館と、長明が考案した「方丈の庵」がある。境内に任部社(とうべのやしろ)があり、八咫烏命(やたからすのみこと)を祀っている。蹴鞠の祖神とされることから日本サッカー協会のシンボルとなっている。願い事と日本第一美麗神
ユニークな絵馬河合神社の厄除け絵馬は「日本第一美麗神」で、自分自身で顔や髪形を描き、頬紅や口紅等お化粧して収めるユニークなもので、最近未婚女性らが当神社に参拝し絵馬の奉納している。
こう言う絵馬もあって好いと思ったこの日は3月3日の桃の節句・「流しびな」と合間って、河合神社へ寄ると女性の参拝者であふれていた。
河合神社は縁結び、安産、育児、学業など護りの神として信仰されている。特に若い女性は神社の絵馬を奉納すると美人になれる!(完)

2012年3月4日日曜日

京の流しびな 下鴨神社

3月3日、左京区の下鴨神社で「京の流しびな」の神事が11:00から営まれた。直線の参道は糺の森(ただすのもり)を北へ進むと二の鳥居があり、奈良の小川の御手洗橋を渡り、楼門を入ると朝早くから参拝の人たちや観光客がたくさん来ていた。神職が無病息災を祈る神事を執り行われる
総門には天皇陛下御平癒と京の流しびなが懸けられている恒例の桟俵(さんだわら)で作られた質素な流しびなは、子どもたちの健やかな成長を祈り、桃の節句に合わせ当神社の境内を流れる御手洗川で行われた。
春の訪れとともに、すこやかに、愛らしくと、川面に子どもの成長を願い御手洗川に流すと心が清められ、すべての厄はのがれられると言い伝えられてきた。桟俵(さんだわら)で作られた質素な流しびな
内裏様もお祓いを受ける雛人形は、源氏物語にも出てくるほど歴史があり、この行事は宮中の“ひいな遊び”へと発展した。流しびなは日本古来の伝統行事で、災厄を祓うために人形(ひとがた)を身代にしてに川や海に流すことによって厄祓いする習慣から始まった。
女の子が生まれたら無事大きく育つことを願い、雛祭りへと変わりつつ、現在でも流し雛の風習は各地に残っている。いよいよ、内裏様による「流しびな」
平安貴族の衣装纏、正装の束帯(そくたい)姿と十二単の2人京の流しびなの桟俵は、赤衣に金の袴烏帽子、簡素な白梅模様の可憐な夫婦雛、和紙で着物を作り、顔は土を丸め胡粉を塗った素朴な人形に願いを込め、参拝者たちは御手洗川に和紙のひな人形を流し、女の子の無事な成長を祈った。
御手洗川前には、平安貴族の公家(くげ)の正装、束帯(そくたい)姿と十二単(ひとえ)正式名は“五衣唐衣裳”(いつつぎぬ、からぎぬ、も)の衣装で男性と女性が行事に参加していた。
祇園宮川町の舞妓さんたち初めに神職の方から流す
祇園宮川町からは三人のキレイ処・舞妓さんや京都タワーのマスコット・たわわちゃんが愛嬌たっぷりに桟俵の流しびなを御手洗川に流した。続いて、近くの園児らが流しびなを流した後、元気いっぱいに「あかりをつけましょ~ぼんぼりに・・・」と合唱した。たわわちゃんは毎年参加している
幼稚園児の子どもたち大勢の参拝客が次々と大小の桟俵の乗せた「人形(ひとがた)」を川面に浮かべながらゆっくりと時間は流れていった。20名の園児は元気よく「うれしいひなまつり」が披露された
正装、束帯姿の男性と十二単の女性は行事後、記者にインタビュー受けていた川面は色鮮やかな人形で美しく彩られていてた。境内の橋殿に飾ってある七段飾りの雛人形を記念撮影、「京の流しびな」の行事は、京人形商工業協同組合の主催で当神社で第24回目を迎えた。今年の梅の花は遅い・・・
桟俵の乗せた「人形(ひとがた)」を川面に浮かべながらゆっくりと時間は流れていった 「桃の節句」“京の流しびな”は、長い歴史と文化が年月を経ても春の風物詩になっている。つづく・・・

2012年3月2日金曜日

近江今津 ザゼンソウ群生地

1日、近江今津町弘川の湿原に群生しているザゼンソウ(座禅草)を観賞した。
雪の中からぽっかりと顔を出すザゼンソウの花は、湖西に春の訪れを告げる植物としても知られている。ザゼンソウは花を咲かせる際に発熱する
ザゼンソウ群生地今年、2月25、26日(土・日)「今津ザゼンソウまつり」が行われたが生憎、雪の降る悪天候であった。説明の看板
高さは10~20cmの植物で2、3月に褐紫色の包に包まれた花が咲く例年ならば見ごろを迎える頃、ザゼンソウ群生地までの約6キロの道程でウォーキングが行われたが不参加でザゼンソウの群生が関西では観ることができなく、やっと念願が叶った。
ザゼンソウは湿原に自生している湿原に約3000株が群生しているJR湖西線・近江今津駅から小浜行きのJRバスに乗車、商店街の中を走り高島高校を左折、国道303号若狭街道、「ざぜんそう前」への停留所まで約7分、国道を渡り左に真っ直ぐ、竹やぶの中の湿地のザゼンソウ群生地に3~4分で着いた。褐紫色に包まれて強く逞しく伸びている
1981年、生徒が理科授業の観察時に発見した今津ザゼンソウは湿原に約3000株が群生している。ザゼンソウは別名・ダルマソウともいい多年草で、僧侶が座禅をしている姿に似ていることから「座禅草」と名付けられた。めしべが成熟するのに1週間23度の発熱をだすという
水に顔を出すザゼンソウそれほど大きくならず高さは10~20cm、サトイモ科の植物で2~3月に褐紫色の包に包まれた花が咲いている。
民家も建ち並んだ竹林の湿原帯に自生していた珍しい植物は、1981(昭和56)年、今津中学の生徒が理科授業の観察時に発見したという。その後大切に保護され、今では毎年、早春の頃に群生地に花を咲かせている。花と葉
今津弘川の湿原のザゼンソウ群生地は、国内自生地の南限であるこの珍しいザゼンソウは花を咲かせる際に発熱する不思議な植物だという。それも30度近くまで達する。そのため外気温がマイナスに下がっても、肉穂花序(にくすいかじょ)は25度近くに保たれる。どうりで雪の中、頭をのぞかせているのは発熱で、周囲が円形に雪が融けていた。今津ザゼンソウ群生地は遊歩道が整備されている
ザゼンソウは花のしくみ今津弘川の湿原のザゼンソウ群生地は、国内自生地の南限とされ、環境省の「自然環境保全基礎調査」の特定植物群落に選定、県の「緑地環境保全地域」に指定されおり、遊歩道が整備されている。
湖西に春の訪れを告げる“今津ザゼンソウ”の植物との出会い、充分楽しみ帰路に着いた。
<ザゼンソウ群生地>
ザゼンソウ群生地 無料
住 所: 滋賀県高島市今津町弘川
電 話:0740-22-2108 (びわ湖高島観光協会今津支所)
交 通: JR近江今津駅~小浜行き、ざぜん草前下車、徒歩すぐ
駐車場:有り 障害者・可