2009年11月12日木曜日

大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ)

拝殿
方除けで知られる大将軍八神社は、一条通の商店街の中にある方除けで知られる大将軍八神社は北野天満宮の南西、一条通の商店街の中にある。創建は延暦13年(794)桓武天皇の勅願により方位守護の神として、内裏の北西角、(風水の天門)の地に勧請されたと伝えられる。「大将軍八神」の額と中央に「鏡」
大将軍は陰陽道の方位神であり三年周期でその位置を移動する創建当初、平安時代末期から室町時代には「大将軍堂」と呼ばれていたが「大将軍社」と改められた。その後、陰陽道を祀る暦神「八将神」と習合して「大将軍八神宮」と称され、明治以降は、現在の名称へと変更された。
本来、祭神は大将軍というが明治の神仏分離令にて主祭神は素盞鳴尊と改められた。理由は、1340年から(大将軍堂)約100年の間祇園社(現 八坂神社)の管理下にあったという。五体合せて八体の方位神
各三体ご守護神がいる大将軍とは方位を司る星神で、「大将軍がいる期間にその方位を犯すと厳しいとがめを受ける」と恐れられていた。元は中国の風水思想から起こった道教の信仰で陰陽道と共に日本に入って来たといわれる。
大将軍は陰陽道の方位神であり三年周期でその位置を移動する。巳午未の年には東、申酉戌は南、亥子丑は西、寅卯辰には北に位置し、その方位を塞いでいる。俗に、「三年塞がり」と呼ばれる!
とくに建築や転居、旅行など方角の吉凶を司る神であるため、平清盛が福原遷都等、陰陽師に対策の相談や源頼朝が養和元年の京都侵攻を断念等々は、大将軍が方位を塞いでいたからだという。その時々の権力者達も陰陽道・星神天大将軍の方位を厚遇し、長きにわたり朝廷・武家・一般民衆の間に広く浸透していった。大杉大神と豆吉明神
方徳殿前の大将軍神半跏像境内には方徳殿があり木造大将軍神像80躯(重要文化財)が収納されている。
平安時代中期から末期にかけての制作ですべて男神像、甲冑を着用した武装形の像や束帯姿の像、童子形の像合わせて80躯が昭和47年(1972)に重文指定にされた。いずれの像も独特の表情、装束で異彩を放っており、興味深い。破損の多い像もあるが、古い神像が多数まとまって伝来する例は大将軍八神社の他になく国の重要文化財に指定されている。
これらの文化財を収めた方徳殿は毎年「5月1日~5月5日と11月1日~11月5日」その他に渋川春海奉納の天球儀など多くの文化財を有し、春と秋に特別一般に公開されている。(その他の日は予約制)鳥居をくぐると右手に手水舎がある
「招霊(おいたま)の木(神代榊)」と権現八棟造
大将軍八神社は、平安朝以来王城守護の神として方位の災厄から守護する霊験あらたかな神として、祇園、日吉、賀茂社と同列に歌われている。
<大将軍八神社>
場所:京都市上京区一条御前西入ル 電話:075-461-0694
境内:無料(方徳殿は500円、特別公開時以外は要予約)
      拝観時間は9:00~17:00まで
     ※特別公開期間 春期:5月1日~5日 秋期:11月1日~5日
交通:市バス北野天満宮前下車、南西200m。又は、市バス北野白梅町下車、
    南東300m。嵐電北野白梅町駅より徒歩約7分
障害者:拝観可

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