爽やかな晴れた秋の下、芸舞妓さんが登場すると歌碑前は華やかな雰囲気が醸し出された。
冨美代の大女将さんら、4人の芸舞妓さんが登場した。
かにかくに碑の前で、芸舞妓の白菊を供え、静かに手を合わせ献花した。
歌人・吉井 勇は、鹿児島藩士吉井友実(伯爵)の孫として東京に生まれた。
当時、白川の両岸に茶屋が建ち並び、建物の奥の一間は川の上に少々突き出ており、「枕のしたを 水のながるる」はそのものの情景を詠んだという。
左から、芸妓の豆まるさんと舞妓の市紘ちゃんと豆結ちゃん、まめ彩ちゃんが献花した。
歌碑の建っている地は、祇園白川のお茶屋「大友(だいとも)」があり、その女将の幅広い交流で、当時文人・夏目漱石や谷崎潤一郎ら有名作家や画家が多く訪れたと言う。
祇園甲部の舞妓のまめ彩ちゃん、豆結ちゃん、市紘ちゃんと芸妓の豆まるさん。
歌人・吉井勇は、明治、大正、昭和の初期まで、毎年、祇園甲部の芸舞妓が歌碑に白菊を手向けて“かにかくに碑”の前で献花が行われた。
祇園花街を愛してやまなかった感性を感じさせるものでもあり、風情のある石畳を歩いて文人たちの粋を感じ、白川の流れの音もどこか風流に聞こえてくるようだ。 (11/8撮影)
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