2015年6月9日火曜日

黄檗山 萬福寺(まんぷくじ)

宇治市にある萬福寺は、黄檗宗大本山の寺院で山号は黄檗山、寛文1 (1661) 年に中国僧 隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師によって開山、本尊は釈迦如来、徳川家綱が宇治に建立という。
寺域は特異なもので、山門、天王殿、仏殿、法堂が一直線上に並び、左右に諸堂が並んでいる。
中国明朝時代、臨済宗を代表する僧で中国福建省福州府福清県にある「黄檗山萬福寺」のご住職だったという。
日本からの度重なる招請に応じ63歳の時、和尚は弟子20名を伴って361年前に来日した。
和尚は宇治の地でお寺を開くにあたり、寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺」と名付けたという。
その後、幕府により宗派を「黄檗宗」と改宗し現在に至っている。
日本でいう「禅宗」とは、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されている。
仏教各派の中で、最も遅れて開宗した黄檗宗の中心の寺で明出身の僧・隠元和尚は建物や仏像の様式、儀式作法から精進料理に至るまで中国風で、日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観を有した。
また萬福寺は煎茶道の祖・売茶翁ゆかりの寺としても知られているという。隠元と弟子の木庵性瑫(もくあんしょうとう)と即非如一(そくひにょいち)はいずれも書道の達人で、これら3名を「黄檗の三筆」と呼ばれている。
隠元の名に由来するインゲンマメのほか、孟宗竹やスイカ、レンコンなどさまざまな中国文化が日本にもたらされた。
今日、初めで黄檗山 萬福寺に参拝したが、嶋原太夫の太夫道中と舞などが見たく梅雨の中、宇治まで来たがもっとゆっくり伽藍建築・文化など来たい。この後、嶋原太夫の太夫道中・舞をつづける。(6/8撮影)

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