太夫道中は三門から天王殿までの参道を禿(かむろ)2名を従えて進んだ。
後方には若衆が持つ大傘、葵太夫さんがゆったりと「内八文字」で進んだ。
天王殿前に到着し、葵太夫さんと禿さんは皆さんにご挨拶した。
その後、天王殿前では緋毛氈が敷き詰められ、太夫の顔見世の‘儀式’「かしの式(盃をお客さんに見せる)」太夫さんとお客さんとのお見合いごとだそうで、舞ではなく儀式が始まった。
打掛が着られるようになったのは、室町時代、高位の女性が小袖の上に打掛を羽織ったという。また島原など特定の遊郭の上級の女性達の正装でもあった。
続いて葵太夫さんの舞、古(いにしえ)が披露された。
太夫は着物姿も合わせると約30㌔の重量をつけて舞い、簪(かんざし)は昔の鼈甲、横のびらびら簪は珊瑚を使用する。
頭だけで5~6㌔、帯は前結びで伎芸を見せるため、「心」という字に結んいる。
また司太夫さんが七福神と宇治茶の二曲の舞を披露された。
また記念撮影時間があり、誰でも太夫さんとお写真を写して貰い、東京から来たという彼女も居った。
今日の萬福寺の嶋原太夫、太夫道中と舞を観て梅雨空も何処か吹っ飛んだ。(6/8撮影)
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