2011年12月4日日曜日

嵯峨野 厭離庵(えんりあん)

30日、嵯峨野・宝筐院(ほうきょういん)の紅葉も美しく、嵯峨釈迦堂(清涼寺)西門から愛宕道を徒歩4分ほど行ったところに、細長い路地奥に厭離庵がある。
「小倉百人一首」の藤原定家(ふじはらていか)ゆかりの非公開寺である。細長い路地の奥に厭離庵がある厭離庵の表門
藤原定家が小倉百人一首を編纂(へんさん)した山荘「時雨亭(しぐれてい)」が小倉山の麓にある。
    「見渡せば 花も紅葉もなかりけり 
                   浦のとまやの 秋の夕暮

普段は“拝観拒否”の札が下がっているが、秋の「特別一般拝観」が公開される定家が小倉百人一首を編纂した山荘「時雨亭」の跡とされたところである山荘も定家亡き後には荒廃するが、1772(安永年間)年の間に冷泉家が再興、霊元法皇から厭離庵の寺号を賜り臨済宗天龍寺派の寺院となり、白隠禅師の弟子の霊源禅師が開山されたが再び荒廃した。庭園には織部燈籠がある
庫裏から紅葉を眺める1910(明治43)年、当時の白木屋の社長が仏堂と庫裡を建立し再興して、山岡鉄舟の娘である素心尼が住職となって、それ以降つい最近まで尼寺となっていた。庭園の隅に石塔・定家塚がある
本尊の如意輪観音像と天井絵境内には本堂、本尊は如意輪観音。庭園の隅に石塔・定家塚があり、庫裡の横にある時雨亭は、大正時代に茶室として再建されたもので床や書院窓、文机などは桂離宮を模して建てられたといい、広縁は苔寺の湘南亭を模したという。また、屋根裏は傘のような形で、高台寺の傘亭を思い出した。時雨亭の傍に、定家が筆を洗う水を汲んでいた「柳の井」と呼ばれている井戸がある。散紅葉で真っ赤になるが少し早い!
訪れる観光客も少なく紅葉を観賞するのに好い小倉山山麓には定家の「時雨亭」跡とされる処が、厭離庵の他に小倉山中腹の常寂光寺と二尊院の裏山にある。既にどちらも観たがいずれが本物かは定かではなく謎である?明り取りは傘の骨のように造られている。
茶室 時雨亭普段は“拝観拒否”の札が下がっているが、秋の「特別一般拝観」が公開され、この厭離庵の紅葉も見事で苔むす小さな庭園に真っ赤な紅葉がさらに彩りを添えている。庫裡とつながる広間の広縁、そこから眺める庭園の紅葉が美しく、今昔も詩づくりの環境を漂わせている。厭離庵は“紅葉の季節”のみ公開されている。 苔むす庭園
紅葉の奥に時雨亭の屋根がみえる奥嵯峨方面に向かって歩いていくと、右手に細い路地の入口に「厭離庵」の看板が出ている。風情のある静かな佇まいで訪れる人も少なく、晩秋の散り紅葉は格別素晴らしい。
<厭離庵>
住   所:京都市右京区嵯峨ニ尊院門前善光寺山町2
電   話:075-861-2508
拝観料金:500円 障害者・300円
       「紅葉の季節」11月1日~12月上旬のみ公開
       上記以外は要予約
拝観時間:9:00~16:00
交   通:市バス 嵯峨釈迦堂下車 徒歩約10分

2011年12月3日土曜日

嵯峨野 宝筐院(ほうきょういん)の紅葉

京都・嵐山・嵯峨野は眼にも鮮やかな美しい真紅や黄金色の紅葉が楽しめる。嵯峨野宝筐院の紅葉も美しい寺で、とくに晩秋の散紅葉は格別素晴らしい。眼にも鮮やかな美しい赤色や黄色の紅葉が楽しめる
嵯峨野 宝筐院(ほうきょういん)の紅葉嵯峨釈迦堂前バス停下車すぐのところ、北側の“豆腐のモリカ水曜日が定休日”を横に見て、清涼寺(嵯峨釈迦堂)の大きな三門に拝礼、周辺は嵯峨野の住宅街で一見すると宝筐院をそのまま素通りしてしまいそうな感じを受ける。 本堂で寝転んで紅葉を観る
思わず感歎するような光景この宝筐院は、白川天皇開創と楠木正行(まさつら)足利義詮(よしあきら)の両菩提所である。平安時代に白河天皇の勅願寺として建立された臨済宗の寺院で山号は善入山(ぜんにゅうざん)といった。 宝筐院は楠木正行と足利義詮の両菩提所である
陽光がさしてモミジが生き生きと感じる当初は善入寺という寺名であったが、足利義政の代に、室町幕府二代将軍・足利義詮(よしあきら)の菩提寺であったこの寺を、彼の院号“宝筐院”にちなみ名を改められた。平安・鎌倉時代にかけては、数代にわたり皇族が入寺して住持となり、南北朝時代の貞和年間(1345~50)に夢窓国師の高弟の黙庵周禅師が入寺し衰退していた寺を復興させた。 本堂左側面からモミジを観賞
当初は善入寺という寺名であったが八代将軍・義政のとき宝筐院に改められた義詮と南朝の忠臣・楠木正行(まさつら)の菩提寺で、本尊は木造十一面千手観世音菩薩立像である。南北朝時代、敵味方に分かれた武将・楠木正行の首塚と、二代将軍・足利義詮の墓が仲良く並んでいる。これは義詮が正行の人柄を慕い、そばに葬るように遺言したためといわれる。真っ赤なモミジが印象的
数多くのモミジや苔が美しい先の四条畷の戦いで北朝方に敗れた楠木正行が、ここ善入寺に先に葬られていた、ところが義詮の遺言によって、敵であった楠木正行の傍に亡骸を埋葬した。正行の五輪石塔と義詮の宝筐印塔(墓)ある場所から紅葉を観賞した
観光客や参拝客は絶え間がない!北条氏の鎌倉幕府を倒すために戦った味方同士、忠義を貫き通した楠木正行の人柄が将軍・足利の心の支えになり「自分の逝去後、かねており敬慕していた観林寺(現在の宝筐院)の楠木正行の墓の傍らで眠らせてもらいたい」といい義詮は、正行の五輪石塔(墓)の横に宝筐印塔(墓)として葬られた。 まさに極楽浄土の感じがする
苔むす庭園に紅葉宝筐院の庭園はモミジが非常に美しく隠れた“紅葉の名所”として定評がある。境内に入ってみると参道は楓に包まれ竹林や苔が美しく多くのモミジやドウダンツツジが燃え盛り、晩秋にはみごとな紅葉を見せてくれる。見上げればモミジ・モミジ・モミジ
宝筐院の紅葉は隠れた名所だったが今は違う!宝筐院の枯山水はまた別の趣きがあり晩秋の頃、本堂から燃えるような紅葉の波が美しい姿をみせてくれる。
<宝筐院>
住    所:京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9-1
電  話:075-861-0610
拝観時間:9:00 ~17:00
拝観料金:400円 障害者300円
交    通:JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」徒歩20分
       市バス「嵯峨釈迦堂前」徒歩3分

2011年12月2日金曜日

南禅寺塔頭 南禅院 その2

つづく・・・南禅寺の塔頭(たっちゅう)として残る南禅院(なんぜんいん)は、かつて亀山法皇が出家した離宮の遺跡で南禅寺発祥の地である。岩倉実相院も劣らない床もみじ
南禅院方丈の真紅のモミジ南禅寺山を借景とした庭園は鎌倉期の代表的な池泉回遊式庭園で京都の三名勝史跡庭園に指定されており、その周りの紅葉が池に映えている。
京都の三名勝史跡庭園に指定されておる古式豊かな禅寺と近代西洋が美しく調和する水路閣は赤レンガとローマ風な水路を潜った高いところにある。南禅院は水路を潜った高いところにある
禅寺と水路閣が調和している応仁の乱後、荒廃していたが、1703(元禄16)年に徳川綱吉の母・桂昌院により再建された。方丈中央には南北朝時代作とみられる亀山法皇の御木像(重文)が安置されている。世界文化遺産で有名な天龍寺や苔寺の庭園を作庭した夢窓疎石(むそうそせき)は、臨済宗の僧でこの南禅院の庭園は深い樹々に囲まれて物静かで奥深い趣にあふれている。南禅院から紅葉を眺める
法皇遺愛の林泉で、史跡および名勝に指定され京都で唯一の鎌倉期の作庭で築庭は、竜田のカエデを移植し、いでの蛙(かわず)を放ち、池中は心字島(少し横長の池を掘ってその長めの軸線に沿って島を横に二個並べたもの)を浮かべた京都の三名勝史跡庭園の一つに指定されている。亀山法皇遺愛の林泉
作庭した夢窓疎石(むそうそせき)は、臨済宗の僧三門と水路閣には人が溢れているのに、南禅院に入る観光客は比較的に少ない・・・境内は静かな時間が流れていた。その日本的な風景のなかに見事に溶け込むかたちで、レトロな赤レンガのアーチ状の建造物も見える。池に映った紅葉の木
和服をお召しになった二人連れ琵琶湖疏水が通る水道橋で、田邉朔郎土木技師が明治時代に建設した。全長約93m、幅約4m、高さ約14mで毎秒2tの水が流れ京都市民の生活を潤し、市内を北に向かって流れている。古代ローマ時代の水道橋を参考に造られていて、その上部は“疏水沿いの遊歩道”としても利用されている。誰も人が居なかったおもったが・・・
南禅寺山を借景とした庭園は国の名勝、特別史跡国の名勝、特別史跡に指定された南禅院庭園は夢窓疎石の池泉回遊式庭園の代表作ともいわれ、秋の庭園は紅葉の色付く頃多くの観光客で賑やかになる。(完)

2011年12月1日木曜日

東山 南禅寺の紅葉 その1

南禅寺は臨済宗南禅寺派大本山の寺院で、正式名称は「太平興国南禅禅寺」で山号は瑞龍山、京都五山の上位(五山第一位の天龍寺よりさらに上に位置する)の別格扱いの寺で、日本の禅寺のなかで最も高い格式を誇っている。東山を背景に広大な禅林は東山五山の上に列せられる豊臣秀頼の寄進した法堂(はっとう)は明治28年焼失したが明治42年現在建立された
亀山天皇は山水明媚の景勝をこよなく愛され離宮禅林寺殿を営まれた。約10万坪に七堂伽藍を構え、塔頭12ヶ寺を擁する寺で、皇室の発願になる禅寺としては日本で最初のものという。南禅寺の本尊は釈迦如来で開基は亀山法皇が1264(文永元)年に離宮が発祥で、1291(正応4)年に禅林寺殿と名付けられ開山は大明国師、その年の12月入滅し法皇は南院国師を第2世として選任した。 三門
その後、国師は「瑞龍山太平興国南禅禅寺」の勅額を賜り、禅林寺殿の寺号を南禅寺に改称した。1334(建武元)年、後醍醐天皇は南禅寺を京都五山の第一とした。その後、1385(至徳3)年将軍足利義満は自ら建立した相国寺を五山の第二として位置し、南禅寺を五山の「別格」とした。約4万5千坪の広大な境内に禅宗様式の伽藍や塔頭寺院が点在している。ことばも無く美しい
色鮮やかなモミジ南禅寺の三門は、“天下竜門”と呼ばれ、上層の楼を五鳳楼といって日本三大門のひとつ、歌舞伎「楼門五三桐」で石川五右衛門が「絶景かな」と大見得を切る舞台としてあまりにも有名だが、高さ22mの三門に登ると京都市内を一望できる。カエデは今を盛りとして
拝観料も取らず無料楼上から見下ろすと眼下に赤や黄色に色づいた紅葉が艶やかな景色を織りなしている。また三門前の右方の巨大な石灯籠は高さ6mで東洋一で佐久間玄藩の片灯篭と呼んでいる。 鮮やかなモミジ
散り銀杏と回廊裏山の広大な禅林は東山五山の上に列せられる南禅寺は室町時代には塔頭60カ寺、僧侶千人を超えたと云う、広大な境内に壮大美麗な建物が豊富な境内の紅葉を散策し、伝統ある東山南禅寺の紅葉が見頃を迎えている。白壁にモミジが映える
銀杏とモミジのハーモニィー水路閣周辺にも紅葉が見られ、塔頭・南禅院も手帳提示で障害者無料で拝観できる。つづく・・・
<南禅寺>
住   所:京都市左京南禅寺福地町86 電話075-771-0365
拝観時間:8:40~17:00 (12~2月は16:30まで)
拝観料金:三門と方丈 大人500円 南禅院 大人300円・障害者無料
 (境内拝観自由)
交   通:地下鉄東西線「蹴上駅」下車徒歩15分