救急車を呼んで近くの病院へ担ぎこんだと言い、電話で話し妻し、西京区千代原口の病院へ転送するよう救急隊員にお願いしたという。病院に救急車で到着ICUに到着したのは19:00ごろ、その時の表情は瞬きもせず眼を見開いて、(妻に尋ねると・・・)何も返答がなかったという。意識不明は一ヶ月あまりにも達したが、意識もやっと戻り一命を取りとめる事ができた。
病院での寝たきりの日々、車イス生活から一歩立上がって座る回数を増やし、平行棒で歩行を学んだ。 妻は三度の食事に付きっ切りで、よだれがダラダラと流れる状態で食事はこぼす始末、嚥下障害のため飲み込めなかった。右半身マヒというレッテルを貼られ、 解っているのに言葉が話せない!言語障害はストレスが溜まった。
三重県の榊原温泉病院を4月半で退院し、京都市のリハビリテーションセンターに、当時病院リハビリの方には随分お世話を頂いた。 一命を免れ18年経った今日、何よりもリハビリが大切と痛感しつつ、あしたも生きることを願う。(9/12撮影)
0 件のコメント:
コメントを投稿