2018年11月4日日曜日

田山花踊り 南山城村

3日、京都府南山城村の「田山花踊り」は、江戸時代中期以前から“雨乞いの神事”として氏神 諏訪神社に奉納された。起源は不明で、1773年の飢饉の年に奉納したという記録が残っているという!
田山の花踊りは、諏訪神社の例祭に合わせ家内安全、五穀豊穣を祈願・奉納されていて1984年には京都府の無形民俗文化財に指定となった。
花踊りは午後1時、旧田山小学校の運動場で、少年・少女5人が交代で大太鼓を打つ「入端(いりは)太鼓」始まった。
続いて、お囃子歌に合わせ円陣を組んで「愛宕踊」と呼ばれる踊りが始まった。
主役は10人余の青年たちは女装の長羽織に白の手甲を付け、足元は白い脚絆にワラジ姿、真っ赤な口紅が目を引いた。
その後、神社に向けて田山町中を通り、諏訪神社まで練り歩く道中行列が出発し、武士姿の警護役2人に先導された。
女装の着流し姿の払い棒、棒術の少年たちと「ヤァーハァ」と元気な掛け声を上げる幼児たちが続いた。
背中には色鮮やかな造花や和紙、御幣で飾られた長さ2mほどの「シナイ」、胸元に小さな締め太鼓を付け、ゆったりとした風流な踊りを披露した。
神社に到着すると、保存会会長の挨拶などに続いて「神夫知(しんぶち)」と呼ばれる少年が軍配を手に神前に向かって五穀豊穣などの口上を述べた。
再び、境内で「愛宕踊り」の奉納「八ツ橋踊」と「御庭踊」。
色とりどりの切紙を四段に飾り重ね、上端にゴヘイと枝垂れ花をさしたシナイを背負い胸につけながらの踊りは華やかである。
背中に2mほどのシナイを背負い、日頃履き慣れないワラ草履を履き、終始片足立ちで舞った。
相当の体力とバランスが必要と思われる。
この日は天気も良く、大勢のアマ・カメラマンの撮影の姿もあった。
江戸時代初期からこの地に伝わる雨乞いの踊りである。
大正時代に一時途絶えたものの、1963年に「田山花踊り保存会」が結成、復活して今年は53年目となった。
風流優雅な「田山花踊り」は、毎年11月3日に田山地区の旧田山小学校~諏訪神社で奉納されている。
最後は紅白の餅まきで終了、南山城村・田山花踊りでした。(11/3撮影)

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