2016年2月6日土曜日

宮川町 襟替え

祗園甲部の店出しと宮川町の衿替えがバッテング、ころも同じくタイムのためどちらにするか迷いに迷った。宮川町のお茶屋・高よしさんは松原通宮川筋の路地を入ったところで、丁度、今出発したところで女将さんが送りに出てた。
今日の衿替えをする主役の「田ね文(たねふみ)」さんは、女衆さんとともに南に行った。
晴れて芸妓さんの仲間入りをし、凛として女衆(おなごし)さんと一緒に挨拶回りをした。
衿替えとは、二十歳ごろになって行なわれるもので、舞妓時代の赤い衿を、落ち着いた白い衿に変えることから『衿替え』といわれるものある。
儀式を終えた後、女衆さんとともに「田ね文」さんはご挨拶に向かった。

あ舞妓時代は自分の髪で「割れしのぶ」を結いあげ、2~3年後になると「お福(福髷)」に結いかえるが、鬘(カツラ)でゆっくりと休まれるという。

新芸姑の田ね文さんは、各お茶屋さんやお店を女衆さんと一緒に回り「今後ともご贔屓おたのもうします」と挨拶した。

舞妓さんから芸姑さんに変る「衿替え」は少なくなったが、今も伝統は受け継がれている。
京都には宮川町の他に祇園甲部・先斗町・祇園東・上七軒の五花街があり舞妓さんや芸妓さんなどそれぞれお茶屋や置屋に所属している。(2/5撮影)

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