時代祭は平安遷都1100年を記念して1895(明治28)年に始まったとされる。創建は119年と比較的新しく、京都の街起しの集大成とし平安京を造営した桓武天皇を祭神として神宮が建立された。過去の戦争や災害などで10回の中止の年もあったがことしで109回目を迎えた。
洛中風俗列では風流踊りは、江戸時代以降、盆踊りの原型にもなっているという。
京の町衆によって盛んになったという風流踊りは風流傘を中心に内側に囃子方、「中踊り」と「側踊り」になっている。
楠公上洛列では後醍醐天皇が配流先の隠岐からの還幸にあたって、楠木正茂一族郎党を率いて兵庫に出迎え上洛した。天皇から菊紋を下賜されたが、畏れ多いとして菊水紋にしたという。
衣冠装束の甲冑(かっちゅう)姿で堂々と歩いた。
中世婦人列では、洛北大原から京の街へと薪や炭を頭にのせた「大原女」は室町末期の姿を再現しておる。また桂から「桂女」も鮎や飴を売る伝統的な里の風習を今に伝えている。
淀君は浅井長政の長女で後の豊太閤の側室で秀頼の生母である。
藤原為家の室で出家姿をしている。さらに静御前も義経の愛妾で白拍子であり、悲劇のヒロインである。
鎌倉時代、馬上から的を射る流鏑馬(やぶさめ)は、平安時代から武者のたしなみとして盛んに行われていた。
藤原時代、源氏の武将・木曽義仲の寵愛受けた「巴御前」は色白で髪は長く、容姿美貌で、愛馬に跨り戦場を駆け、太刀・長刀を手に勇壮な鎧姿を再現した。
建礼門院の雑仕女の横笛、常盤御前は二児を連れている。
清原元輔の娘、清少納言は一条皇后に仕えていた、十二単姿の女官である。
慈悲深い和気広虫は多くの孤児を養育、百済王明信など紀貫之の娘や小野小町など歩くのが早すぎてシャッターが押せなかった!!
歴史は遡り桓武天皇、延暦時代へと続いたが、万民が安心して暮らせるように「平安楽土」の実現への強い思いが込められている。
極楽浄土に住む美しい鳥の「迦陵頻迦(かりょうびんか)」と「胡蝶」の前列、祭神の乗る二つの「ご鳳輦」が御所から平安神宮にやってきた。
白川女献花列、最後は弓箭組列、平安遷都の警備に当たった。
時代風俗行列巡行は人員約2000名、牛馬70頭で烏丸御池通から河原町の繁華街を通過し平安神宮に到着した。
巡行は約4,5kmの道のりで華やかに優雅に都大路を練り歩いた。
豪華な歴史絵巻が彩る大行列は8つの時代に構成、京都人の心粋と誇りが織り込まれていて“風俗史の時代行列”京都の歴史を知る上でも華やかに大切に盛り上げる伝統祭事である。
今年の人出は約5万2千人であり、大勢の市民や観光客は広大な大パノラマに魅了した。(完)10/22写真撮影
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