昨日(9日)、北区上賀茂神社で午前10時から、重陽の節句(ちょうようのせっく)の「烏相撲(からすずもう)」の神事が執りおこなわれた。
烏相撲の起源は、平安時代から続く伝統行事で、祭神の祖父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が神武天皇東征に際し、八咫烏(やたがらす)に姿を変えて先導したという故事があり、皇女・齋王が陪覧(ばいらん)したという烏相撲との結びつきが深いとされている。
第58代皇女・齋王代(葵祭・長瀬摩衣子さん)と相撲童子たちが土舎(つちのや)に集合し、神事のため本殿に参詣、艶やかな十二単(じゅうにひとえ)に身を包んだ斎王代とお付きの禿(かむろ)2名は緊張の面持ちで約一時間頭を垂れた。
午前11時、立砂(たてずな)のある細殿前に設けられた土俵では神職が円を二つ書き、その上を8の字形に歩くという、無言で読まれる儀式が行われた。
相撲は日本各地でも盛んだが、上賀茂神社の烏相撲は現在も昔の風習に祖っている。
立砂が東西に置かれ、行司がそれぞれの相撲童子を引つれ、土俵中央から斎王代の正面に進み出て礼を行い、勝利を願って立砂を三度廻ったあと、土俵下の元の場所に戻った。
細殿前では、今年の葵祭の斎王代(長瀬さん)が艶やかな十二単(じゅうにひとえ)に身を包み烏相撲を見物した。
白装束に烏帽子(えぼし)姿の刀祢(とね)と呼ばれる役が、小刻みに片足で2回横飛びしてカラスのようにピョンピョン跳ねながら立砂の前に弓矢や刀などを奉納し、「カーカーカー」「コーコーコー」と鳴き真似をした。神社の樹木で本当のカラスがカアーカアーと鳴いていた。
カラスのユーモラスな受け答えをする独特な神事に続いて、禰宜方(ねぎかた)、祝方(ほうりかた)に分れ、地元の氏子の童児が真っ白な褌一丁姿の元気いっぱいの相撲を取った。
地域の氏子の小学校3年生から6年生までの男児、約20名を選抜、市無形民俗文化財の指定を受け保存会の人たちの協力で成り立っている。
古来宮中その他で行われた五節句の一つで、九という陽の数字が重なることから「重陽の節句」といい、この日に菊酒を飲んだり、菊花についた露で肌を拭ったりして災厄を祓い悪霊退治の信仰行事となったという。
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