つづき・・・今宮神社は平安時代に疫病が流行したとき御霊会を行ったのが、その始まりである。
やすらい祭は「夜須礼祭」、「安良居祭」また「やすらい花」とも云われ、桜の花の散る頃に流行する疫病を退散させるため、細男(せいのお)を送り、舞ったのがその始まりと伝わる。
「見ぬもあほう、二度見るもあほう」などと云われ、江戸時代から太秦「広隆寺の牛祭」、鞍馬「由岐神社の火祭」とともに「京の三奇祭」の一つとされ、国の重要無形民族文化財に指定されている。
京都の春の祭のさきがけとして行われ、この日が好天に恵まれるとその年の京の祭はすべて晴れると言い伝えがある。
各神社の氏子たちが風流(ふりゅう)の扮装をして鉦、太鼓をたたき、踊りながら町内を練り歩き今宮神社へ参拝し無病息災を祈願する。
行列は「練り衆」と呼ばれ、先立、鉾、御幣持ち、督殿(こうどの)、羯鼓(かんこ)、大鬼、花傘、音頭取り、囃子方と続く。全身を緋一色に装い、赤毛と黒毛の大鬼は髪を振り乱し、鉦を鳴らし太鼓を打って乱舞、ハードな踊り。
「花や咲きたる やすらい花やー」のかけ声と共に境内を踊り練り歩く、”やすらい”の呼び名は、踊りと歌のなかで繰り返される囃子で、やすらいは「やくばらい」からとったと言う!
桜の花が散る頃、疫神は花の精にあおられて悪戯をして疫病が流行ると云われる。「花傘」は、「風流傘」「傘鉾」ともいわれ、径六尺(約二米)の大傘に緋の帽額(もっこう)を掛けた錦蓋の上に、桜、椿、山吹、柳、若松を挿したもので、この中に入るとその年の厄を除かれるといわれる。
やすらい踊りで花傘に惹き寄せられた疫神は疫社へと鎮められ、一年の無病息災が祈られ、地元の方々は皆、花笠の下に競って入っていた。
年々、後継者が減る傾向にあり、何度も存続の危機にさらされたことがあるが、地元の人たちの熱い思いで支えられ存続している。
このやすらい祭は、紫野の今宮神社、玄武神社、西賀茂の川上大神宮社の三神社で行われ伝統行事である。(完)
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