2010年4月6日火曜日

清水寺 青龍会 観桜茶供養

桜花爛漫
中興堂前では観桜茶供養が行われていた14時から清水寺では青龍会観音加持の催しがあった。
11時ごろ少し早く清水寺に着いたが、いつものことだが観光客や参観の人並みで一杯であった。仁王門の扁額を見ながら門の中に入った。
鐘楼と西門との緩やかな石段を上ると満開の桜が迎えてくれる。後方は中興堂、しだれ桜とソメイヨシノの接木?
一気の満開に咲き揃う境内で観桜茶供養野点茶会の整理券が無料で配られていた!
中興堂(ちゅうこうどう)前の桜の木は、ほぼ満開、幔幕を張り床机に赤毛氈、野点で観桜茶供養の接待をしている。
さっそく整理券をもらい、ほどなく茶菓子とおうすの接待があった。整理券をもらう人たち
地蔵の石仏群あるこのお堂は1997(平成9)年、建立で、中興開山大僧正・大西良慶和上(1875~1983)の御霊屋(おたまや)がある。
1965(昭和40)年、大西良慶和上は清水寺を本山とする北法相宗を興し、初代管長として清水寺貫主を務め上げられ「良慶節」として親しまれていたが、108歳で惜しまれながら天寿を全うされた。また、奈良の春日社(重要文化財)を祀る法相宗は1629(寛永6)年に建てられた。成就院の庭園にむかうと右手に地蔵の石仏群ある。青龍会まで時間があるので「三重塔」と「西門」を散策した。この頃、和服姿の若い人が多い
その昔、三重塔は完成に33年間費やした!三重塔(重要文化財)で平安初期847(承和14)年、葛井(かどい)親王が勅命を奉じて創建されたと伝える。現在の塔は1632(寛永9)年の再建で、日本最大級の規模をもち、三間四方、高さ29,7mに達す。その塔の基礎工事は、幸にも清水寺裏山に岩石が多く、山頂から切り出して自給自足をした。急坂を二段構えに石垣を唐風様式に積み上げ、塔の位置に安定感を与えた。舞妓さん
お抹茶と菓子(偶然にも盛岡の明けガラス)実に着工から33年の歳月と莫大な経費により、地元の大工の手により精魂を傾けた三重塔が完成した。宝塔再建の声が叫ばれてから百余年、幾多の困難を耐えて遂に、唯一の木造建築の珍しい宝塔が生まれたのである。1987 (昭和62) 年、解体修理、総丹塗りと共に桃山様式を示す各重横木の極彩色文様を復元した。西門
西門の桜と随求堂西門(重要文化財)は、1631(寛永8)年、江戸初期の再建で優雅な三間一戸、正面8.7m、側面3.9mの八脚門で西面して急な石段上に建っている。
正面に向拝をつけ、木階に高欄を設けて一見拝殿風に作り、背面には軒唐破風(のきからはふ)を架ける大層珍しい形式になる。持国天・増長天を安置する。
拝殿風の華美なこの門からの京都市街・西山の眺望は素晴らしい。勅使門にも使われたが、絶好の洛中展望台とされ、かつ西山に沈む夕日の見事さに極楽浄土を観想するためかもしれない。前方の仁王門と二門が相並び立つ趣向は格別に意味深長である。前方の仁王門と二門が相並び立つ趣向は格別
若いカップルは腕を組み桜を手に取り匂う1993(平成5)年、丹塗りと極彩色文様が復原され桃山様式の華麗さを再現している。音羽山の清水寺は春夏秋冬いつ訪れても好い。(完)

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