2010年4月10日土曜日

清凉寺(せいりょうじ)

花まつり
本堂(釈迦堂)1701(元禄14)年に再建された4月8日は清凉寺のお花まつり、お釈迦様の誕生を祝う法要が行われた。
五台山清涼寺は、一般に嵯峨釈迦堂の名で呼ばれ親しまれている。八重しだれ桜
多宝塔945(天慶8)年に、嵯峨天皇の皇子、重明(しげあきら)親王妃が「棲霞寺(せいかじ)清涼寺の前身」を建て藤原氏に寄進、等身大の釈迦如来像を安置した。これが「釈迦堂」の名の由来である。阿弥陀堂
一切経蔵、江戸時代の建築本尊は国宝で、日本三如来といわれる釈迦如来像として広く信仰され、三国伝来(インド~中国~日本)の生身のお釈迦さまとして今も人々から帰依されている。この尊像は釈迦37歳の姿を写したものである。桜満開
聖徳太子殿は西南方にあるこの寺では阿弥陀三尊を本尊とする棲霞寺と、釈迦如来を本尊とする清凉寺の歴史が関係している。
開基は奝然(ちょうねん)上人で985(寛和元)年、尊像を中国から日本へ持ち帰ったという。しかし、その願いを達しないまま1016(長和5)年、奝然は没した。かれの遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の境内に建立したのが、五台山清凉寺である。左大臣源融の墓
1484(文明16)年11月吉日の日付になっているこの地は、もともと、嵯峨天皇の皇子・左大臣源融(みなもとのとおる)の別荘「栖霞観(せいかかん)」があった。源融の亡きあと阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置、阿弥陀堂を棲霞寺と号した。阿弥陀堂は本堂右手にある。
本堂(釈迦堂)の裏庭に放生池があり摩尼殿(弁天島)と忠霊塔がある。戦争犠牲者の霊を弔う供養塔で、地下には1万週千個の1石1字の写経石などが納められている。大方丈と庭園をみる。
西門の薬師寺の脇には「生の六道」、小野篁が冥土と現世を往復していた福生寺(現薬師寺)と伝えられている。また、「豊臣秀頼公の首塚」もある。大阪城の三の丸跡地から出土したものを清涼寺再興に縁があり、この寺に1983 (昭和58) 年、納められた。
鐘楼は、江戸時代のもので足利義政、義尚、日野富子などの名がある。弁天堂と忠霊塔
快晴の青空にさくらが眩しい毎年4月に行われる国指定の重要無形民族文化財の「嵯峨大念仏狂言」もある。また霊宝館は春季(4,5月)秋季(10,11月)に特別公開される。
清涼寺の境内は広く、一切経蔵や愛宕権現社、多宝塔、嵯峨天皇宝塔・檀林皇后宝塔、奝然上人の墓、源融の墓、聖徳太子殿などがある。いま仁王門は修理中である。
<清涼寺(嵯峨釈迦堂)>
住所:京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46   TEL(075)861-0343
交通:市バス「嵯峨釈迦堂」下車徒歩約1分
JR嵯峨野線(山陰線)「嵯峨嵐山」下車、徒歩約15分
拝観料:300円 障害者 不可

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