つづき・・・花傘巡行は1000人もの大行列は河原町御池から市役所前を迂回して寺町通を南下、四条通お旅所、それから八坂神社に還る。朝まで降っていた雨もあがりジリジリとした気候は蒸し暑さが特徴である。
疫病が流行した夏、時の国の数にちなんで、神泉苑に六十六本の矛(ほこ)を立て、神輿を送り祇園の神に災難の除去を祈ったと伝えられている。これが町衆の祭として、鉾に車と飾りを施して京の都を練り歩く祇園祭になったという。
花傘巡行の行列は12時前ごろ八坂神社に着いた。楼門(正門)に到着、子ども神輿が先陣を切った。
祇園囃子太鼓が午後1時から、獅子舞(振付・茂山千之丞氏)、久世六斎念仏のアクロバットのような獅子舞や獅子と土蜘蛛のなどは観客から拍手が沸いた。
そしてお目当ての芸舞妓さんが登場、小町踊りは、京の街々に美しく化粧した少女らが太鼓を持ってテヶテンと打ち囃したという。
祇園東お茶屋組合の芸舞妓さんによる小町踊りの舞踊だった。
続いて先斗町の芸舞妓さんたちが、歌舞伎踊「清元、津山の月」を舞った。
出雲大社の「出雲の阿国」は巫女さんで京の鴨川河原で演じた踊りは、都の町衆によって支持されたという。
舞殿には8名が上がり奉納披露が行われた。祇園万灯会からは4人の少女による鷺踊り、この踊りは寛政年間、津和野藩に伝習していたが八坂神社が復興、いまから59年前(1954年)にお迎提灯として復活された。
また祇園祭音頭として1959(昭和34)年、花傘巡行より「万灯をどり」も参加、少女らは2週間足らずで覚えた踊りだったが見事に成し、花傘奉納舞踊もフィナーレを飾った。
祇園太鼓・獅子舞・六斎・小町踊・清元、津山の月・鷺踊と万灯をどりなどが舞殿にて奉納された。
三年ぶりで花傘巡行や奉納舞踊も観たが目当ての花街の芸姑衆による舞踊、来年は隔年で観られない・・・。
獅子舞や久世六斉の「獅子と土蜘蛛」は格別であり多彩な行列と芸能奉納の後祭であった。
このあと「還幸祭」はつづきとする・・・
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