2010年3月25日木曜日

壇林寺門跡(だんりんじもんぜき)

壇林寺へは、ニ尊院・祇王寺の奥嵯峨鳥居本方面へ進むと道の左端に石柱がある。
宝蔵造り本堂の3層楼屋根
「山城国一ノ寺壇林寺」禅伝来本朝最初発祥遺跡と刻まれた石標が建っている門前の左に「山城国一ノ寺壇林寺」禅伝来本朝最初発祥遺跡と刻まれた石標が建っている。ニ尊院や祇王寺・滝口寺は訪れたが、2月梅宮大社参観の折、檀林寺を知った。三門軒下には、十六弁菊家紋や狛犬?三門軒下には、皇后が学校として設けた「蓮華精舎」の扁額。
檀林寺の名は「松森山 法寶閣 檀林寺門跡」で、平安時代の初め檀林皇后が建立した寺院である。檀林皇后(786~850)は嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(たちばなのかちこ)のことで創建時、中国の僧、義空和尚からこの寺で禅書を学び、これが、日本国で禅伝来最初の発祥といわれている。庭園にはいろんな形式の灯篭が建っている
頂峰の瑞鳥は御所を見ている皇后は、深く仏教を信仰し壮大な寺院を営み、盛時には十二坊を数えた。さらに皇后は、容姿端麗、婦人の徳に秀で、学芸を愛され学校として学館院を設けた。
(檀林寺門跡パンプレットより)
 『本堂は(法寶閣)重層 宝形造り 本瓦葺で法楼風を残した特殊な構造の典型でよく旧態を示している。法宝閣の名声は昔から極楽殿と親しまれてきた。
曼陀羅図の法宝閣を基本に屁も浄土観をただよわす構図は、まさに宝蔵造りそのものである。これは正面下層の中央部を截り一段上へ屋根を高く変化を見せ、裳階をつけた入母屋造りの特色をとどめた蓮子窓にみられる。その上三層楼屋根は勾欄を施し、軒は短く、頂峯の露盤にとまる瑞鳥は天空に向い経文を唱える勇姿は、輝かしく堂々たる造形である。正面軒下に法宝閣の大篇額(平安時代)を掲げ、偉容を誇るのは、以前の意匠を伝えるものである。各層軒の丸瓦紋と、正面の金彩に輝くものは共に十六弁菊家紋である。正面入口の石段は、九段止め九重の段として従法に基つく寺格を示し、その左右には蟇股の鳳凰の彫刻が一対嵌めこまれている。この極彩色浮彫彫刻は、豊麗豪放なもので、力強く(宗達筆彫)貴重なものである。正面一基の石燈籠は(櫓形)は桃山時代であり、右手の石造仏頭は奈良時代のものである』
 『本堂の内陣には、ご本尊として檀林皇后を型どったという容姿端麗な准胝仏母尊(藤原時代)をお祀りしている。大欄間の音響菩薩(天女)四尊はそれぞれ楽器を手に、極楽浄土へ舞上がる立体美の彫刻(桃山時代)である。倶利迦羅明王と火焰は、本質を象徴する格調高い絶妙な作品で、仏教美術史上まれにみる傑作として知られている。その他霊法館を含め彫刻・絵画・工芸品等が数多く宝蔵され、順に展示陳列されている。東寺郷の松森家が檀林皇后の御遺品および伝来の寺宝とともに浄財を献じて再建した』 壇林皇后の供養塔
モリアオガエルが棲息している瓢箪池
創建当時、檀林寺は大覚寺付近にあり、平安初期の仏教と文化の一中心地であったという。檀林寺はこの由緒によって昭和39年(1964)、再建された寺院である。
宝蔵造り本堂の3層楼屋根頂峰が瑞鳥なのは珍しく、この瑞鳥は東方、御所を見つめている。また境内には皇后の供養塔がある。なお、壇林皇后陵は愛宕(あたご)念仏寺の西方、約200mのところにあるという。昭和39年(1964)に再建された比較的新しい寺院
水子地蔵菩薩霊宝館には、皇后ゆかりの品をはじめ、日本、中国の仏教美術の数々が納められているが、 ただ残念なことは霊宝館は奥行きも狭く、仏像や書画・曼陀羅画、御宸筆の品々が雑然と並べてあったのが気に掛った。観光客は、突き当りの祇王寺が目当てて、この檀林寺門跡はガイドブックにも掲載しておらず、ひっそりとしている。
<壇林寺門跡>
住所:京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町  電話:075-871-3924
拝観時間:9:00~17:00 
拝観料:400円・障害者200円
交通: 市バス・京都バス「嵯峨釈迦堂前」下車徒歩約15分
    京福電車「京福嵐山駅」下車徒歩約20分
    阪急嵐山線「嵐山駅」下車徒歩約25分
    JR京都駅から嵯峨野線「嵯峨嵐山」下車(約15分)

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