2019年4月23日火曜日

松尾大社 神幸祭と船渡御

21日、西京区の松尾大社では鮮やかな黄金色のヤマブキ満開と重なって春祭りの神幸(おいで)祭が営まれた。大宝元年(701年)、勅命により秦忌寸都理(はたのいみきとり)が社殿を造営し、山頂附近の磐座から神霊を移し、娘を斎女として奉仕させたという。
平安期は賀茂社と並び、王城守護の社として大切にされ、東の「賀茂の厳神」、西の「松尾の猛霊」と称され弟の秦伊呂具(はたのいろぐ)は711(和銅4)年、伏見稲荷大社を建立、秦一族は平安遷都以前に始まる。
法被を着た威勢の良い與丁(よちょう)たちは総門の石段を登り、神輿の鳴鐶(なりかん)を手に本殿に着いた。
松尾七社は、本殿の御分霊を受けて拝殿廻し後、月読社の唐櫃一基と六基の神輿が出発、神輿はヤマブキ色に輝いていた。
本殿前で拝殿三周してから総門から外に出た。
與丁たちは担ぎ上げをし、観衆の拍手喝采を浴びていた。
満開のヤマブキをバックに神輿が、楼門の外に出た。
威勢の良い與丁たちは二の鳥居に無事担ぎ終え、台車に乗せられた。
神幸祭(おいで)は、六基の神輿が船で桂川を渡る伝統行事「船渡御(ふなとぎょ)」が行なわれた。
大社の船渡御は、一時中断されたが1983(昭和58)年に再開されたという。
その昔、先人たちは桂川の中を神輿を担いで渡ったと言われている。
神輿は午前に松尾大社の境内を出発して、昼ごろに桂大橋近くの桂川右岸に次々と到着した。
桂川の右岸は滑るので慎重に水の中に神輿は入った。
神輿の下に入り、法被姿の輿丁たちは足場が悪いが耐え、その度、拍手をし「船渡御」は最高潮になった。
橋の上では見物客たちが拍手を送ったり、カメラで撮影していた。
松尾大社は、約10万戸の氏子を持ち、洛西の総氏神である。
平安時代の貞観年間から“川渡しの御船”で、五穀豊穣や家内安全を願ったもので千年の歴史を刻むという。
神輿が大社に帰還する「おかえり」と呼ばれる還幸祭は5月12日に執り行われる。(4/23撮影)

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