2019年4月13日土曜日

元離宮 二条城の桜

9日、世界遺産の元離宮 二条城の桜を観た、江戸時代の城で1603(慶長8)年、初代将軍 徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営した。
京都の宿泊として建築した城で、戦乱や籠城を意識した建物ではなく、その呼び名も”二条新御所”とか”二条亭”などと呼ばれ天守閣も当初なかったという。
御所御車返し(ごしょみくるまがえし)が、咲いていた。
水上(みなかみ)、太白(たいはく)。
手弱女(たおやめ)、一葉(いちよう)。
松月(しょうげつ)、雨宿り(あまやとり)。
東錦(あずまにしき)、滝匂(たきにおい)。
八重紅枝垂れ桜(やえべにしだれさくら)、佐野桜(さのさくら)。
城内には、50種約400本の桜の木があり「桜の園」には多くの里桜が植えられている。
八重紅しだれ桜が多く植えられている。
キレイな八重紅しだれ桜だった。
十五代将軍徳川慶喜が二条城で「大政奉還」を宣言し、歴史の流れの大きな転換がなされ、近世の終焉の象徴がここに実現した。
伏見城から五層の天守閣が移築されたが落雷により焼失、その後、二条城は天守閣は必要性が認められないため再建されなかったという。
城内ではお茶会が催されていて和服のご婦人がたくさん見えていた。
秀吉の残した文禄年間の遺構と、家康が建てた慶長年間の建築、家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合されて桃山時代様式の全貌を垣間見ることができる。
徳川家の栄枯盛衰のみならず、日本の歴史の移り変わりを見守ってきた城である。
この地は平安時代の大内裏、神泉苑、冷泉家などの貴族の邸宅があったところで、広さは東西約500m、南北約400mの長方形の総面積275000㎡規模を誇る。(4/9撮影)

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