明治維新後、京都府郡部最初の小学校に使われたという勧修寺(かんしゅうじ)は、正式寺名は「かじゅうじ」である。900年、平安中期の昌泰3年、京都市山科区に醍醐天皇が創建した門跡寺院である。本尊は千手観音で皇室と藤原氏にゆかりの深い寺である。
山科小野にある勧修寺は、1本の花に二つの花をつける、珍しい「双頭蓮」が咲いたので参拝がてら観賞に19日行った。
拝観料の方にお聴きすると、「前夜来の雨で双頭蓮は散ってしまった」と言い、僅かに残る双頭のピンク色のハスの実があった。
この双頭蓮は1本の花茎から二つの花が開花し、咲くことがなく、住職は「得難い機会」だという。
勧修寺は醍醐天皇が母(宇多天皇の妃)の菩提を弔うため、母の生家・宇治郡の大領であった宮道弥益(みやじのいやます)の邸跡と伝えられている。
境内には平安時代の姿をよくとどめる池泉庭園「氷池園」と呼ばれ、重要文化財の書院(江戸時代)、宸殿・本堂(江戸時代・京都市指定文化財)などがある。
氷室の池を中心に造庭され周囲の山を借景した自然なままの美しさである。
氷室の池を中心とする池庭は、1686(貞享3)年に後西院旧殿を賜って建てられたという。
書院の南に広がる平庭の二つの部分は、南に更に広がっていたが、伏見城築城の際に秀吉に埋められ現在の大きさになった。
夏のスイレンやハスの花は見事だが、珍しい「双頭蓮」が咲いたので観賞に訪れた。(8/20撮影)
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