みちのく東北岩手県 平成の合併で東和町も花巻市になった。
6日、私は三年半ぶりにふるさとの実家に帰省した。
しかし、いまでは父母は既に他界し、2007(平成19)年正月には兄が亡くなって、ふる里は遠のく存在だった。
そんな矢先、旧友から同級会の知らせをいただいた。
2004(平成16)年2月、県立自然公園南花巻温泉峡一泊で60歳の還暦も祝った。あれから6年の歳月が流れ、旧友たちに逢いたくなった。
しかし、みちのく岩手でも日照は暑い!
朝6:00、裏の木に停まっている、ミンミン蝉の鳴き声で眼を覚ました。澄み切った空気が美味しく、ミンミン蝉もこだましている。京都洛西にない風景である。
東和町のバスが今では花巻市営が運営・運行しているが近隣の街、土沢まで4㌔、ご覧通り時間表を見てもお解りだか、マイカーで存続は困難である。
長閑な山村、小山田(おやまだ)は、バス停・龍鐸寺前から徒歩5分で我が家である。米作が主流で東和町は田瀬ダムから水流を引き、野山も田園と化したが、政府の減反政策で田んぼは荒れるが儘だ!
この天候でも甥は、既に四回も草刈に余念が無い・・・
栗のイガと胡桃は秋を目指して大きくなっていた。
村の八幡神社と小学校跡を訪ねてみた。 1951(昭和26)年、軽井沢小学校に入学、のち小山田西に改名した。懐かしい校門が今でも建っていた。
現在は、公民館と「きぬがわ」デイサービスセンターになって老人福祉の世話を行なっている。
現小山田小学校は、私たちの小山田中学校の学びやの跡だが、来年花巻市土沢に統合され、急ピッチで建設中であるという。また一つ廃校が増える。
また、随一東和町で高等学校があったが、少子化で今年三月、廃校になったという。
東和町支所で朝職員が来るまえ尋ねてみた。
国指定重文の“兜跋毘沙門天像”を拝顔したく、行き方の方法を尋ねたが職員すら曖昧でタクシーを利用!徒歩と、云うのである!4・5㌔もあるといのに・・・・
私の様なバスを利用する者にとって、車・くるまも良いが何らかの得策を取ってもらいたいものである。バスで宮沢賢治記念館と新渡戸記念館を目指した。
つづく・・・・・
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