2010年6月28日月曜日

洛東 養源院

血天井や宗達襖・杉戸絵など拝観しに養源院にお参りに行った。血天井や杉戸絵山門
養源院は三十三間堂の東側、後白河天皇法住寺陵に隣接している。山門をくぐり庫裡・玄関までの長い参道、いま緑が美しい寺である。
玄関・庫裡1594(文禄3)年、豊臣秀吉の側室、淀君が父浅井長政の菩提を弔うため、秀吉に願い養源院は建立した。開山は比叡山の天台僧であった成伯法印(せいはくほういん)長政の従弟とした。長政の法号「養源院」を寺名にした。
1619 (元和5)年、火災に遭い焼失するが、2年後に淀君の妹、徳川秀忠の妻おごうが懇願して伏見桃山城の遺構を移して再建したのが現在の本堂である。以来、徳川家の菩提所となり歴代将軍の位牌が祀られている。
本堂へ入ると、拝観料は障害者でも割引もなく、説明はカセットテープを流し、訪ねたら答えるといった感じでマニュアル的な説明で筆者には不足だった!!
庭園もなく座ってゆっくりしたくても出来ない!
足早に、本堂の杉戸八面および襖絵十二面を観る。宗達筆の象の絵
俵屋宗達が描いたもので、自刃した将士の霊を慰めるために「念仏・回向」にちなみ、象や獅子や麒麟など、当時としては珍しい行動を描いており、その表現が奇抜な感じがし曲線美、新鮮美に溢れている。また、歩くとキッュキッュと音がする廊下は鴬張りで左甚五郎が造ったとされている。
本堂の左右と三方の廊下の天井は、1600 (慶長5)年の関ヶ原の合戦の前哨戦となった伏見桃山城落城の際、将軍家康公から伏見城の守備を命じられた徳川家臣、鳥居元忠一族が城を死守し、最後に自決した廊下の板を天井に上げ、その霊を弔ったもので、俗に血天井として知られている。 名も無い地蔵
境内(本堂の南にある堂宇)なお、庫裏玄関を入ると全て撮影禁止となっているので、残念ながら写真は一切ない。
<養源院>
住    所:京都市東山区三十三間堂廻り町 (三十三間堂の東側)
電   話:075-561-3887
拝観時間:9:00~16:00
拝観料金:大人500円 ・障害者割引なし
交   通:市バス「三十三間堂前」下車、南へ徒歩約5分

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