raku-pc-clubの仲間だった清水 衛氏が5月22日の夕方、四条大宮の外出先で倒れているところを発見、救急車で搬送されたが病院に着いた時は息を引き取ったあとでそのまま亡くなった。
謹んでご冥福を祈る。
彼は、心臓疾患で10年以上前にも心臓大手術があり生命を余儀なくされた。
彼との接点は2000年ごろ、左京区高野の京都市障害者スポーツセンターである。
大柄で恰幅もよく健常者に見え、アドバイザーで来る様に感じたのが実感であったが、実はそうではなく既にセンターでリハビリを受けていたのである。だが当時同じ脳疾患の仲間を気使かって野山を散策等の話も聞いたていた。筆者には積極性のある彼に逞しさを感じた。
そのころ、筆者は洛南身障者福祉会館のパソコンに興味を持った時期で、彼も誘ったがあっさりと断られた事がある。
その後、彼は市内のパソコン教室に通いパソコンをマスターして洛南身障者福祉会館の障害者パソコン教室のボランティアとして共々に頑張り、クラブの仲間だった。
命ってなんだろう、寝込むこともなしに突然に彼は天国へと旅立った!
彼は1945(昭和20)年生れの壮年で筆者より年齢が1つ若く、後で聞けば誕生日も1日違いであった。
彼本人が“人生を大きく狂わせた心臓手術”の「ふりかえり」リハビリ記として2005(平成17)年6月21日の還暦からブログ『日暮考』を日課としていたのである。
それが、5月22日(つづく)を最後にぶつりと途絶えた!
筆者は本人宅に6月2日電話を掛け訃報を知った!既に告別式も終わった12日後の事である。
生涯独身を貫いたが、その膨大なブログを見るにつけ料理のことや政治のこと、さらに文化・芸術など、多岐に渡り彼の造詣が深く感心させられる。
2008(平成20)年、老いた尊母が他界された今、彼の心中は1916(大正4)生れの94歳の父が気掛かりだった頃だろう!
彼は、多分あと2,3年先の父の事を考えていたとも云うのだが、人の死は順番通りにはならない。また子孫代々の言葉もあるが、自分の生は子どもに引き継がれていくと言うが錯覚である。
12日突然の訃報を知り仲間たちと寄り自宅へ行った。そこには彼と二つ違いの弟が待っていた。
残された94歳の気丈な尊父は、私たちを家に迎えてくれ、よくお参り下されたとあいさつし、亡き彼の祭壇にむかい経典を唱えてくれたのである。その姿はわが子を亡くした父にとって菩提心を求めようとする心が込められていた。その後、一人一人焼香をあげ冥福を祈った。
突然召された彼の在りし姿を思い起こし、銘々に想い出ばなしを語った。
寿命いえばそれまでだが、65歳は早すぎる!!
人の命の儚さ無常を友の死が教えてくれた。今を楽しく生きる。そう考えて、不満も後悔もない自分の人生を精一杯生きていこう。
<日暮考>
故 清水衛氏リハビリ記
http://blogs.dion.ne.jp/eisui45/
0 件のコメント:
コメントを投稿