2010年5月1日土曜日

乙訓寺の牡丹

京都府長岡京市にある真言宗・大慈山「乙訓寺」は、牡丹の寺としても多くの人に親しまれている。本堂前の色とりどりの牡丹の花
長谷寺と係りのある乙訓寺二千年前の弥生時代から多くの人が住んでいて聖徳太子は、この地に十一面観世音菩薩を本尊とする伽藍を建立、乙訓寺である。創建の正確な時期は未詳だが、境内出土の瓦の年代から、長岡京造営以前、奈良時代の創建と推定されているそうだ。昨年は24日満開だった!何とも言えない美しさ・・・垣武天皇は、784(延暦3)年に長岡京を造営した際、都の地鎮として大規模に増築されている。翌年、藤原種継が春宮房により暗殺され、天皇は早良親王皇太子を乙訓寺に幽閉された。嵯峨天皇は811(弘仁2)年太政官符をもって弘法大師を別当にされた。光が輝く荘厳花
本尊の供花として弘法大師が一時住したともいわれ八幡明神の霊告をうけて合体の像を造り、毘沙門天像を刻んでは国家の豊楽を祈られた。境内には、実る柑子を朝廷に献上された木が残っている。頬を染めた乙女の様!
黄色の品種は低温で開花が遅い講堂、大師のご起居されたと考えられる単独僧坊跡が発掘調査され、出土がわら等により、平安期に隆盛を極めていたことがわかっている。極楽浄土で遊ぶ・・・
陽除け傘1558~1569(永禄年間)年、信長の兵火により一時衰微したが1693(元禄六)年、五代将軍綱吉は、堂宇を再建して乙訓寺法度をつくり、寺領を寄せ徳川家の祈願寺とした。
ところで四月下旬から五月上旬にかけて牡丹が花ひらき、これに前後して、つつじも咲き陽春は花の寺と化する。乙訓寺の牡丹は、1940(昭和15)年、本山の「長谷寺」から贈られた二株からスタートし、永い間住職が丹精込めて育て、いまや30品種2000株にもなり関西のボタン寺との異名がつくほどになったが、以前の乙訓寺は、表門から本堂まで松並木が続く美しいところだったいう。しかし、1934(昭和9)年、室戸台風の被害で倒木したという。 1940年、二株から始まった!
赤い牡丹境内は色鮮やかな赤や紫・白に黄色等など美しい牡丹が花を咲かせて私たちの目を楽しませてくれる。
しかし、ことしは低温の影響で一週間、開花のペースは遅れている!このゴールデンウィークは見ごろを迎えてたくさんの参詣者や観光客が牡丹を目当てに寺を訪れる。29日祭日、4000人もの人が牡丹の花を愛でに来たと関係者は言う。ことしも乙訓寺の牡丹を観賞した
鐘楼のところで・・・また、写真撮影はOKだが一脚・三脚使用は禁止。スケッチ等もお断りだ!
なお、乙訓寺は場所もわかりにくいところなので注意が必要だ!
<乙訓寺の牡丹>
住所:京都府長岡京市今里3丁目14-7 
電話:075-951-5759
拝観時間:8:00~17:00
入山料:500円 ・障害者400円
駐車場:あり
車の方は入り口手前に有料臨時駐車場(500円)を用意してある。
■交 通は不便で長岡ハッピー「シャトルバス(運賃100円)」利用した方がよい」か
乙訓寺シャトルバスを利用したい。

※シーズン中は長岡天満宮(文化センター前から)~随時運行中! 
■車=名神高速「大山崎」IC~数分

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