2010年5月30日日曜日

福王子神社

福王子神社は、右京区宇多野にある神社で第58代光孝天皇の皇后班子(はんし)女王を祭神としてお祀りしている。本殿は一間社春日造・末社(夫荒社)本殿・拝殿・鳥居、燈籠一式が国の重要文化財に指定になったのは類が無い
班子女王は平安京を造営された桓武天皇の皇孫にあたり、また888(仁和4)年、仁和寺を創建された宇多天皇の母君でもある。
1100年前、光孝天皇が仁和寺建立に着手され完成を見ず亡くなられたのち、その意志を継いで第59代宇多天皇が母君の班子女王とともに仁和寺を造営された。 拝殿は徳川時代初期の入母屋造
本殿と拝殿の屋根は木賊葺(とくさぶき)雨に強い、さわらの木を何枚も重ねて使用するという!900(昌泰3)年に班子女王が亡くなられ頭陀寺に葬られたが、その陵墓がこの辺であったところから、この地に班子女王をまつる福王子神社が造営されたと伝えられている。その後、平安時代から鎌倉時代初期、歴代の仁和寺法親王から厚い御崇敬を受け、仁和寺の鎮守神として奉られてきた。また、班子女王は気さくで、庶民に親しまれた産土神として崇敬された。
しかし、1468年応仁の乱で社殿は全て焼失した。現在の社殿は1644(寛永21)年江戸初期、徳川三代将軍家光公の寄進を受け、仁和寺の宮、覚深法親王により五重塔や仁王門・堂伽藍とともに再建された。御室仁和寺の守護神としてその歴史は古く、福王神・福王子宮とも呼ばれていたという。本物は京都歴史資料館だがこちらも有名な方の逸材である
左の狛犬は銀同じ境内にある夫荒社(ふこうしゃ)は延喜年間、丹波の氷室から御所へ氷を運ぶ役夫(えきふ)が行き倒れ、その霊を鎮めるため祀った社。また、本殿と夫荒社との間に「さざれ石」が祀ってある。これは“山越”にある「さざれ石」の一つを移してきたものであると宮司から伺った。
君が代にうたわれているさざれ石は山越えの石山から移してきた下方が開いて蛙の股のような形を建築用語で「蟇股」という。ふくろうと椿1973(昭和48)年、福王子神社は本殿・拝殿・鳥居、燈籠一式が国の重要文化財に指定になり建造物一式全てが他に類は無く、貴重な文化遺産となった。
また、社殿は建立以来、約360年が経ち、2000(平成12)年、班子女王千百年特別大祭に当たり、本殿・拝殿の屋根は「木賊葺(とくさぶき)椹の木・長さ39cm厚さ6mm・幅9~12cm」の修復工事を行った。鷺と雲
すずめと竹など、時代が移るにつれて装飾用となったものが多い木賊葺は主に水に強い椹の木を使い屋根に葺くが、江戸時代の修理記録は全く残っていなく、「仁和寺諸堂社(しょどうしゃ)御修復仕様入札帳」という300年前の資料があり救われたという。福王子神社の修理は360年前と同じ工法で1100年祭を前に行われ当時の姿が今によみがえった。
2002(平成14)年には、本殿の丹塗り「蟇股(かえるまた)」の修復も行われた。海馬と波
福王子神社は仁和寺の守護神であるとともに、庶民に親しまれた班子女王の遺徳を偲び、地元の御室村、福王子村、鳴滝村、中野村(現在では常磐西部)、常盤村、山越村を含む旧六ケ村、西は広沢の池、南は山陰線、東は嵐電妙心寺駅附近を地域の産土神として今日に至っている。
<福王子神社>
住所:京都市右京区宇多野福王子町58 電話:075-463-0937
拝観:自由
交通:嵐電宇多野駅より徒歩約5分
   市バス福王子停留所よりすぐ

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