新日吉神宮は東山七条の智積院と妙法院との間を東へ向かう阿弥陀ヶ峯の豊国廟参道の途中南側にある。
平安時代末期の1160(永暦元)年、後白河上皇が法住寺殿造営にあたり、比叡山坂本日吉山王社より勧請したのが始まり伝えられる。当初は、智積院側にあり社地を転々とし、変遷の後、明治時代にこの地に造営された。
新日吉神宮の祭神は、大山昨神、大巳貴神、賀茂玉依姫命など七神が祀られている。
1158(保元3)年、後白河天皇が上皇になり皇室からの崇敬も篤く栄え、法住寺内に皇居の守護神山王七社の神々を比叡山東坂本の日吉大社から勧請したという。
しかし室町時代の中頃、1467~77(応仁の乱)年などの度重なる戦火により社殿が荒廃・衰退した。その後、再建が行われて本殿は1835 (天保6)年に再建された。
ところで新日吉と書いて「いまひえ」と読むが、新日吉神宮は、比叡山延暦寺の地主神・鎮主神が祀られている滋賀県坂本にある日吉大社を勧請したのが始まりだそうで、日吉社と結びつきが強く、日吉という名を、比叡山から“ひえい”という名をいただいたという。
神宮本殿前には御幣を持った猿が神の使者として「信者の災難を去る」として置かれ、祀られているが、狛犬ならぬ「狛猿」が特徴で正しくは御神猿と書いて“コマサル”といって厄除け、開運、方除けとして授与している。
この新日吉神宮は、元々豊臣秀吉の墓であったが、それを嫌う徳川家が豊国神社を廃止、そのあと、新日吉社に祀った、密かに豊臣秀吉を信仰する人々はここへ参詣に参ったという。幼少の呼び名を猿と呼ばれた木下藤吉郎『日吉丸』は、樹下(きのした)社と読めるが、正しくは樹下社(このもとのやしろ)があり豊臣秀吉を祀っていて境内には洛陽二十五社の一つ飛梅天満宮がある。本殿後ろには神木のように大きなスジダイのぶなの木がある。
新日吉神宮は、陰の豊国神社であった歴史を見ることができる。つづく・・・
<新日吉神宮>
住所:京都市東山区妙法院前側町451-1 TEL:075-561-3769
拝観時間:9:00~17:00・境内無料
交通:市バス東山七条バス停 徒歩約5分
京阪電車「七条」駅 徒歩約15分
駐車場、あり
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