脳内出血を突発してから19年と言う歳月になってしまった。その後、18年も経ち病気も安定し、洛西シミズ病院に週一度リハビリに通っている。
右下半身のマヒの障害になるといのは、脳が左上部に損傷を負って、いまではMRIをみても脳が無く水が蓋っている。
平成9年9月12日(金)4時半ごろ、西院の知人宅の友禅工場に遊びに行っているときに気分が悪くなり、一瞬で意識不明となって倒れ、その後のことは覚えていない、52歳だった。
救急隊員は近くの病院に搬送、しかし応急処置だけで埒があかず、妻に相談、千代原口の病院へ転送するようにお願いしたという。
救急車でICUに到着したのは19:00ごろで、表情は「瞬きもせず眼を見開いて、返答がなかった」いわば植物人間の状態だったと妻は回想する。意識不明は一ヶ月あまりにも達したが、意識もやっと戻り一命を取りとめる事ができた。
病院での寝たきりの日々、車イス生活から一歩立上がって座る回数を増やし、平行棒で歩行を学んだ。 よだれがダラダラと流れる状態で食事はこぼす始末、嚥下障害のため飲み込めなかった。右半身マヒというレッテルを貼られ、 解っているのに言葉が話せない、言語障害のストレスはいまでもある。
主治医や作業療法士(OT)や理学療法士(PT)、言語聴覚士(ST)の甲斐あって退院することが出来た。また三重県の榊原温泉病院へ行きリハビリをしていたが実姉(花巻市在住)を亡くし葬儀にも出れなかった。
三重県の榊原温泉病院を4月半で退院し、京都市リハビリテーションセンターに、当時病院リハビリの方には随分お世話を頂いた。一命を免れ19年経った今、病院は様変わりをしている。リハビリが大切と痛感し、あしたも生きることを願う。(9/14撮影)
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