10日、岩手県平泉の中尊寺金色堂に行った、仙台の七夕や山形の花笠おどりなど、旅人になったような気分で故郷に帰省し直ぐ親友のクラスメートにコールしたら快く引き受けてくれた。持つべき者は友と感謝した。
奥州・初代藤原清衡が1124(天治元)年に建立したもので、京都宇治・平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、戦いで亡くなった人々の霊をなぐさめるため、仏国土を建設するため中尊寺一山の造営に着手したという。
ご本尊は阿弥陀如来、脇時に観音・勢至菩薩、六体の地蔵菩薩と持国天・増長天が本尊を取り巻いている。堂全体を金箔で覆い、皆金色の極楽浄土を現世に現している。
内陣は螺鈿細工・蒔絵などの漆工芸や精緻(せいじ)な彫金で荘厳され、平安仏教美術の最高峰をなしている。
中央の須弥壇の内に初代清衡公、左の壇に二代基衡公、右は三代秀衡公のご遺体と四代泰衡公の首級が納められている。
本堂は明治42年の再建で堂内には約1200年灯り続ける「不滅の法燈」が、総本山の比叡山延暦寺より分火され今も大切に護持している。
金色堂は、中尊寺山内のやや西寄りに東を正面として建っている。正面、側面共に柱間が3間で、平面の1辺が5.5メートルの小型の仏堂で、覆堂(おおいどう)内にあり、ガラスケースに納められて外気と遮断されていた。
遠い記憶なのだが昭和30年ごろ、小学校の遠足で来たことがあった。しかいし体調が悪く残念ながらバスから一歩も出られなかったのである。
いつの間にか年月は流れて障害者になってしまった。帰省の折、クラスメートに告げるとお易い御用と実行、48年ぶりに実現した。あれから11年、 平泉・中尊寺金色堂や毛越寺も近年、世界遺産になり友の計らいで格別な思いで金襴豪華な “金色堂”を見学した。
讃衡蔵(さんこうぞう)は、中尊寺に伝わる文化財・宝物を永く後世に伝える宝物館として2000(平成12)年に建設された。館名の讃衡蔵とは「奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡の衡)の偉業を讃える宝蔵」という意味で3000点以上の国宝、重要文化財が収蔵されている。
金色堂 上下四壁は皆金色なりの言葉を始め、収蔵する品々は文化財の宝庫で中尊寺創建当初の唯一の遺構は、復興を目指す被災地の人々の更なる励みになるだろう。 広大な敷地に平安時代の栄枯の夢か極楽浄土とされる藤原三代が眠っている。毛越寺に行く・・・
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