2010年10月25日月曜日

時代祭 京都御苑

つづく・・・京都の千年の歴史絵巻が彩る伝統祭事・時代風俗行列が正午、建礼門前からスタートされた。槍持の奴が毛槍を投げ渡す、掛声は当時を偲ばせてくれる維新勤皇の隊列
“ぴ~ひゃら”と軽快に笛や太鼓を奏でる維新勤王隊列を先頭に、丹波からは官軍派の山国隊、西郷吉之助、桂小五郎や坂本龍馬・中岡慎太郎や高杉晋作、吉田松陰など幕末の志士・明治維新時代が続いた。 駕籠、4人では重たかろう!
徳川城使役の大役徳川城使上洛列では江戸時代、槍持、傘持、鋏箱(はさみばこ)持の掛声、動作は当時を行列の有様を偲ばせる。島原の名姑、吉野太夫
天皇の皇女・和宮江戸時代婦人列は孝明天皇の皇女・和宮や太田垣蓮月、中村内蔵助の妻、吉野太夫、出雲阿国など優美な十二単(ひとえ)や清らかな小袖姿を披露した。牛車はおもうように動かない!
歌舞伎の創始者、出雲の阿国武家風俗を代表する大名、安土桃山時代の武将は織田信長や羽柴秀吉・柴田勝家など、室町幕府、足利将軍を中心とした当時の武士の軽武装姿を表現していた。室町時代の武士の装束
応仁の乱後、織田信長は上洛し復興に尽した洛中風俗列では風流踊りは、江戸時代以降、盆踊りの原型にもなっているという。桂女は鮎や桂飴など売り歩いていた
町衆による風流踊りが流行した楠公上洛列では楠木正茂、衣冠装束の甲冑(かっちゅう)姿で堂々と歩いた。義経の愛人、静御前
浅井長政の娘、淀君中世婦人列では薪や炭を頭にのせた「大原女」や桂川の鮎や桂飴を売る「桂女」、また豊太閣の側室・淀君さらに静御前はこの時代の風俗を示していた。城南やぶさめ
木曽義仲のちょう愛うけた巴御前鎌倉時代では城南離宮で行われた流鏑馬の狩装束の射手の武士の姿をしている。清少納言は枕草子の著者、紫式部は源氏物語の作者
建礼門院雑仕女、横笛平安時代中期、藤原氏が最も隆盛した時代の文官・武官や、平安時代の紫式部・清少納言や小野小町・巴御前、横笛の華やかな女性も現れた。紀貫之の娘は歌人であった
常盤御前は子ども連れで・・・さらに歴史は遡り桓武天皇平安京遷都延暦の頃へと続いた。
祭神の乗る「ご鳳輦」白川女献花列、最後は弓箭組列、平安遷都の警備に当たる。小野小町
和気広虫は、慈悲深く多くの孤児を教育したという長さ約2キロの行列は、堺町御門から烏丸通に進み市役所前から河原町通を左折、三条大橋渡り神宮道で左折して大鳥居をくぐり応天門・平安神宮に到着した。
臼曇のなか、京都三大祭り、葵祭、祇園祭の最後を飾る時代祭が22日、華やかに催された。
つづく・・・

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