宝鏡寺は、百々(どど)御所とも言われる臨済宗の尼門跡寺院で、通称人形の寺としても有名である。
中世に栄えた尼五山の一つであった景愛寺(けいあいじ)の法灯を受け継ぐ宝鏡寺は、光厳天皇皇女・華林宮恵厳(かりんのみやえごん)禅尼が伊勢二見浦で、漁網にかかった観世音菩薩を奉じて創建・開山した。
本尊は聖観世音菩薩で、伊勢の二見ヶ浦で漁網にかかったものと伝えられ、その姿は、膝の上に小さな円鏡を持った珍しい菩薩像だという。
その後、1368~75(応安)年間に、この聖観世音菩薩像を景愛寺へ奉納された。当時の住職であった第六世華林宮惠厳禅尼は、景愛寺子院の福尼寺を現在地へ移して寺名を菩薩像が手に宝鏡を持つところから宝鏡寺と改められた。
その後も寛永21年(1644)年、後水尾天皇の皇女久厳理昌禅尼(くごんりしょうぜんに)が入寺され、以来、紫衣を勅許され歴代皇女が住持を勤め、皇室との関係が深い尼寺として栄えた。
しかし、1788 (天明8) 年の大火で焼失、直ぐに再建が始まり1798 (寛政10) 年に竣工した書院をはじめ、本堂・表門・阿弥陀堂・玄関・使者の間の襖絵は、1833(天保4)年、円山派の絵師により描かれたものである。
現在、京都市指定有形文化財に指定されている。
また1830(文政13)年、本堂・使者の間・玄関等が造営され、このうち本堂は、前後各三室からなる“六間取の方丈形式”で床を一段高くしている。
さらに1847(弘化4)年、光格天皇勅作の阿弥陀如来立像とともに御所の古建材を用いて阿弥陀堂(勅作堂)は建立された。
宝鏡寺は皇室ゆかりの尼寺門跡寺院で代々の内親王が住持されて、寺へ入った皇女へ御所から人形が贈られてきたため、多くの人形を保存している。
そのため宝鏡寺は“人形の寺”として知られるようになり、一般からも供養として人形が納められるようになった。
宝鏡寺の人形供養祭の歴史は意外と新しく1957(昭和32)年秋、10月14日営まれることとなり人形塚も建立された。
“人形供養祭”は境内の人形塚の前で、不要になった人形を読経のなか、島原太夫の献茶や小袿「こうちぎ(平安時代以降用いられた高位の宮廷女性の上着)」の献花などもあり焼香・納灰をする。受付で頂いた紙のヒトガタを燃やした灰の一部が人形塚の中に納められる。
また本堂では、一弦琴の琴や島原太夫の舞の奉納があった。「人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか 知らねども
愛された事実こそ 汝が成仏の誠なれ」 武者小路実篤
<宝鏡寺門跡>
住所:京都市上京区百々町(寺之内通堀川東入る)電話:075-451-1550
拝観:普段は非公開だが、春・秋の特別公開がある。
料金:600円 300円
駐車:2台のみ
交通:市バス「堀川寺之内」下車、東へすぐ
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