7日、上京区・白峯神宮では午後2時30分から「精大明神例祭」(七夕祭)が開催された。
それに先立ち、精大明神例祭の神事が執り行われていたが、急に雷雨に見舞われ、境内の蹴鞠庭では出来なくなり、拝殿での蹴鞠の奉納となった。蹴鞠奉納に続き、4時30分からは少女20人が伝統の「小町をどり」が奉納され、踊り子たちの可愛い掛け声が七夕の曇り空にこだました。
白峯神宮は崇徳天皇・淳仁天皇を祭神とする神社で、蹴鞠(けまり)と和歌の宗家である飛鳥井家の邸宅跡であり、境内には代々「精大明神」(けまりの神)を祀った地主社がある。
「精大明神」は「七夕の神」とも説かれ、芸能・学問の向上を祈って、七夕小町をどりがあでやかに奉納された。
七夕は中国より伝来し、「乞巧奠(きこうでん)の(女子が手芸や・裁縫などの上達を祈ったもの)」行事と、牽牛星と織女星が年に一度天の川を挟んで出会うという星の伝説に、日本古来の棚織津女(たなばたつめ)の伝説などが習合して行われるようになった風習で、奈良時代に宮廷や貴族の間で行われるようになったという。江戸時代には五節句の一つに数えられ、裁縫や技芸の上達を願い、五色の短冊に詩歌などを書いて笹竹に飾るなど、広く庶民の間でも行われるようになったという。
元禄時代のきらびやかな衣装を身につけた少女たちによる「小町をどり」が奉納された。この踊りは、西陣の少女が芸能の上達を祈り踊り歩いたことや、公家が七夕の日に詠んだ歌を御所に届ける文使い(ふみづかい)の供が道中で舞ったと起源される。
雷雨も上り、雲間から陽ざしも洩れる中、あでやかな着物姿に化粧をした園児や児童らが境内に登場、参拝者や保護者らが見守るなか、太鼓を鳴らしながら笹飾りの周囲をゆったりと踊った。
衣装は、紫のハチマキに桔梗の銀かんざし、緋の襦袢を片袖ぬぎにして、金襴のたすきと帯、赤いしごき、青を基調にした着物は、緋とのコントラストがひときわ艶やかさをます。園児や児童らの可憐さ優雅さ華やかさを強調する。
左手に小太鼓をもち、右手のバチをかざして“シナ”をつくり、広場中央の七夕飾りの大笹の元、牽牛・織女の周りを回りながら、歌に合わせて打ち鳴らすトントンとかわいた小太鼓の音が、静かな境内に響き渡った。
明治の遷都以後、一時途絶えていたが、1962(昭和37)年に地元の人々によって復活、以後今日まで、夏の風物詩として、当神宮ゆかりの「けまり(蹴鞠)」と共に広く親しまれている。なお当日は、有料のお茶席も設けらている。
<白峯神宮>
場所:京都市上京区今出川通堀川東入ル飛鳥井町261
電話:075-441-3810
日時:2010年7月7日(水) 14:30~
拝観:境内自由
交通:市バス「堀川今出川」下車直ぐ
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