2010年7月16日金曜日

2010祇園祭・山鉾めぐり

京都の夏の風物詩、祇園祭は各山鉾の駒形提灯に灯がともり、鉾からは祇園囃子が奏でられている。
15日、宵々山に先立ち一足先に祇園祭の各山鉾町を探索した。各山鉾町の町会所では山鉾を飾る豪華なご神体・胴懸などの貴重な秘蔵の品々を展示している。幔幕の太の文字は紋になっている
右、三国志の「三顧の礼」左下、前田青邨画伯の「紅白梅」左上、「緋羅紗地百鳥図」四条油小路通を南へ行くと油天神山があり、菅原道真公を祀った山で、梅の図柄を胴懸にし、前田青邨画伯の「紅白梅」という。老木と枝、力強さを感じ画面一杯に咲き誇る紅白梅はまことに華やかである。
見送りは三国志の「三顧の礼」から作品は「風雪三顧図」また「草盧三顧図」と題される。1814(文化11)年、仕上がっていたという。なお見送り縁の「緋羅紗地百鳥図」は、宝暦7年以前の成作で平成15年復元新調したものである。八咫烏は太陽の使いであり、月鉾にもある
ウサギは月の象徴で太子山は月鉾を守っている続いて太子山、幔幕は約200年前の意匠で、「秦家」の紋が入れられ、風格を表す。さらに見送りを止める飾り金具は、ウサギと三本足の八咫烏。ウサギは月の象徴、八咫烏は太陽の使いである。太子山は月鉾を守っていると言う。
1775(安永4)年、胴懸はインド刺繍の類例も少なく非常に珍しく世界中に4点しか現存していないが、太子山町では、金糸を施し「胴懸」し独自の使用し約250年前にも拘らず保存状態は良いという。歴史の重みを感じる!群れをなしたオシドリは友禅作家羽田さんの作
顔まで動くユニークなカラクリ人形西洞院を北へ向うと、カラクリで人気のある蟷螂山(かまきりやま)、友禅作家・人間国宝の羽田登喜男さんによる、胴掛は水辺に浮かぶオシドリが鮮やかで「瑞苑群遊鴛鴦図」は1983(昭和58)年の作品で比較的新しい。右胴掛は「春雪」
上村淳之の父、松篁作で白サギが涼しげに休んでいる四条通りにでて郭巨山(かっきょやま)に行った。
郭巨山の左胴掛は凛と咲く杜若と二匹の白サギが優雅に立つ「花の汀(みぎわ)」は上村松篁作である。右胴掛は「春雪」。なお郭巨山の厄除のちまきだが“金運開運の小判のお守り”が添えられている。長刀鉾の胴掛は「玉取獅子」だが?
虎と梅樹の図斜格子額函谷鉾の胴掛は「虎」だった。「虎と梅樹の図斜格子額」は李朝17世紀作られた朝鮮製の絨毯で1991(平成3)年復元新調した。格子の中のトラは、今にも獲物に飛かからんとしていた。先頭の長刀鉾の周辺は15日の昼でも大混雑だった!
長刀鉾の胴掛は「玉取獅子」だが、違うかもしれない?
織田信長が左手で書いたと伝わる長刀鉾の紋・「長」の字も使われている。長刀鉾の紋にもなっている信長が左で書いた「長」の文字
孟宗山の胴懸は故・平山郁夫さんが描いた、「砂漠らくだ行 月」四条烏丸を北へ孟宗山がある。左右の胴懸は日本画家の故・平山郁夫さんが手がけたもので、「砂漠らくだ行 月」は、平和と繁栄の願いがこめられている。
室町通錦小路北へ行ったことろに、山伏山があり巨大な茅の輪がある。迫力のある茅の輪をくぐり、一人ひとりしあわせを願った。この夏を無病息災で乗り越えるため祈った
前半の穢れを祓い、また半年の幸せを願う茅の輪くぐり鯉山は、中国の故事「登竜門」で滝登りをする鯉として、出世や成功を祈願する。大きさ1,5mある鯉は木彫りで左甚五郎作と云われている。鯉山はことし前額水引が復元新調された。
祇園祭の32基すべての山鉾が揃ったなかで、町内の各会所では所蔵している秘蔵の品を年一度、開放している。

0 件のコメント: